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恵俊彰、タモリに挑む『ひるおび』ドン底時代「“赤紙”だった」

エンタメ・アイドル 投稿日:2019.11.26 11:00FLASH編集部

恵俊彰、タモリに挑む『ひるおび』ドン底時代「“赤紙”だった」

 

 MCタレントの恵俊彰が、『人生最高レストラン』(TBS系)11月23日放送回に出演し、2004年にTBSの “昼の顔” に就任してからの苦難を明かした。

 

 20~30代は、バラエティ番組を中心に活動し、「毎日がパーティ」の日々を過ごしていたという。

 

 

「『ギロッポン』ですよ、毎日のように。田舎から出てきて、ものすごいわけ、東京が。はじめは深夜番組が若手の担当じゃないですか。ディスコでダンス選手権があったりとか。

 

 最初やっていた番組に『ZOO』がいて。当時(元EXILEの)HIROが、まだマハラジャで働いていた頃。マハラジャに行くと、大体みんなを遊ばせてくれるわけ。『恵ちゃん、大丈夫、大丈夫』って入れてくれるの。で、1斤のハニートーストとかを食べて、踊って」

 

 時代の流れに身をまかせ、バブルを謳歌した。

 

「25歳になったとき、『なんか1コ、憧れの矢沢永吉に追いつかなきゃ』と思ったとき、(矢沢永吉著)『成りあがり』を読んだら、『25歳でキャデラックを買った』と書いてあって。で、4万円の家賃が払えないときに600万円のキャデラックを買ったの。

 

 キャデラックで放送局に行くと、だいたい入れてくれたもん。入り口で『丹波哲郎でーす』とか言って、ドライバーさんのフリして。それが通じたの。だってそんな車に乗ってる人いないから。励みになったよ、『このローン返さなきゃ』って(笑)。これは自分のなかで、いまでも忘れない」

 

 その生活スタイルが、40歳を目の前に変わった。

 

「結局この仕事って、椅子取りゲームじゃない? 先輩がみなさんすごくて、バラエティなら『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)目指して、ホンジャマカで頑張って『大石恵三』(フジテレビ系)やってもダメで。『席ないじゃん』って。

 

 毎日パーティして、予習復習なく番組にそのまま出ていくと、30代後半で何も残ってないのよ、自分に。『結婚もしてるし、地に足ついたことをやっていかなきゃいけないのかな。そういえば、子供もいるのに世の中のこと何も知らないな』って思ったわけよ。

 

 それで、出たとこ勝負のバラエティじゃなくて、『ちゃんと勉強したことが、どれだけ伝えられるんだろう』っていうのが、ちょっとあって。いいタイミングで、お話があったので、『じゃあやろう』って」

 

 そして恵は、2004年9月27日に放送開始した『(特)情報とってもインサイト』を皮切りに、『きょう発プラス!』そして現在の『ひるおび!』まで、TBSの正午にまたがる時間帯の情報番組MCを務め続けている。ただ最初は、まさにドン底だった。

 

「『おもいッきり(テレビ)』『(笑って)いいとも!』と同じ時間帯だよ? 視聴率残ってないよ(笑)。裏番組は、“赤紙” って言われてたもん。半年も続かない番組ばっかり。

 

 そのときに、当時お世話になっていた関口(宏)さんや(島田)紳助さんに相談に行ったんだよ。そしたら、『恵がんばれよ、もうお前、最下位の球団の監督なんだから、大声でやれ。とにかく人を振り向かせようと思え。で、1年ぐらいで存在感だけ見せてやめれば? 傷を負わないようにな』と言っていただいた」

 

 先輩の言葉に背中を押され、“昼の顔” 生活をスタートさせたが、視聴率は低空飛行が続く。

 

「数字が出ないから、『もうオレ、終わるな』と思うわけ。一応、この打席に立ってみたものの、誰に相談しても答えなんかないじゃん。だからもう、しょうがないんだよ。で、ひとりで飲むしかなくて、赤ちょうちんの店によく行ってた(笑)。俺にはそのとき、赤ちょうちんの味が、染みたんだよね」

 

 タモリ擁する『いいとも』、みのもんた擁する『おもいッきりテレビ』が幕を閉じたいま、恵の『ひるおび!』が時間帯トップだ。世代交代の裏には、ひとりの男のドラマチックな人生の転機があった。

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