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あおい輝彦「『ジャニーズ事務所』の名付け親だった」と告白
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写真:AFP/アフロ
あおい輝彦が、12月1日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で、自身が「ジャニーズ事務所」の名付け親だったことを明かした。
野球チームから始まったジャニーズだが、あおいは「最初はふざけて野球チームの名前を『ヘターズ』『エラーズ』とか付けてたんです」と回想。
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そこであおいが「それじゃ、ちょっとカッコ悪いから『ジャニーさんが監督なんだからジャニーズでいいじゃない?』って言って、みんなが『いいねかっこいいじゃん』って」と採用された。
野球チームでミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』を見に行き、一同が感動したことから、みんなでミュージカルの練習を始めるようになったという。
あおいはジャニーズ事務所第1号アイドルの4人組「ジャニーズ」のメンバーとして、1962年にデビュー。芸能界入りに、新聞社やラジオ局の取締役をつとめた父は反対だった。あおいは当時について、「父は怒ってジャニーさんのところに怒鳴りこんだ」と明かす。
そのとき、ジャニーさんは「輝彦くんに学校は休ませません! 早退も遅刻もさせません。ジャニーズの活動をクラブ活動だと思ってください。人間修業の場にしますから」と説得してくれた。その際のジャニーさんは「ビシッと話してくれて説得力があった」という。
「ジャニーさんはできないことを無理やりやらせる人じゃない。なにかいいことを見つけたら『もっとやってごらん』って引き出す」と指導法を明かしたあおい。そのやり方を、自身の子育てにも反映させたとも話していた。
「青春時代にキラキラとさわやかな汗と涙を流せた運命をみちびいてくれたジャニーさんに感謝している」と明かしたあおいは、「ジャニーズ・マジック」を身を持って体験した第1号だった。