エンタメ・アイドルエンタメ・アイドル

【ヒット夜明け前】片岡鶴太郎「マッチでーす」を支えた形態模写

エンタメ・アイドル 投稿日:2019.12.07 20:00FLASH編集部

【ヒット夜明け前】片岡鶴太郎「マッチでーす」を支えた形態模写

 

 芸人、タレント、俳優、画家、ボクサー、ヨガと多彩な才能を持つ片岡鶴太郎さん(64)。当時、中学生だった私は、伝説の番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)で、ビートたけしさんに熱々おでんを無理矢理食べさせられて熱がる鶴太郎さんのリアクションを見て、腹がちぎれるぐらい笑った記憶がある。

 

 今回はそんな元祖リアクション芸人・片岡鶴太郎さんの「ヒット夜明け前」に迫る。

 

 鶴太郎さんは、寄席好きの父に連れられ、幼少期から演芸場によく足を運んでいた。その影響もあり、10歳のときに『しろうと寄席』(フジテレビ系)という視聴者参加番組に動物の声帯模写で出演した。

 

 

 その番組で、当時まだADだった後の大物プロデューサー横澤彪さんと出会う。

 

 高校を卒業した鶴太郎さんは、声帯模写の片岡鶴八師匠の下で3年間修行した後、浅草松竹演芸場の寄席で、まだ駆け出しのツービートと若手時代を共にする。ツービートは、ビートきよしさんとビートたけしさんの漫才コンビだ。

 

「この頃は寄席に出た後、そのまま、たけしさんと飲みに行ってる状況で、劇場の出番しか仕事はありませんでした。あとは、たけしさんが『ラジオ短波でレギュラー入ったんだよ。鶴太郎、来る?』って言われて行ったくらい」(鶴太郎さん、以下同)

 

 その後しばらくして、24歳で『お笑い大集合』(フジテレビ系)という番組で実質的なテレビデビュー。その番組で、鶴太郎さんは運命的な再会いを果たす。10歳のときに出演した番組のAD・横澤彪さんと再会したのだ。

 

「横澤さんは、私のプロフィールを見て『あ! あの子か』と思ったようです。それで私がリハーサルに行ったら『とうとう来たね』って。ことのほか可愛がってくれました」

 

 27歳になった鶴太郎さんは、伝説の番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)で、名プロデューサーとなった横澤彪さんと3度目の出会いを果たす。

 

 ある日、鶴太郎さんは、やったこともない近藤真彦さんのものまねを、3日後の『ひょうきん族』の収録でやってくれとスタッフから頼まれ、『ギンギラギンにさりげなく』のテープを渡された。

 

「付け焼刃でマッチをやるわけですよ。まだ似させるなんてもんじゃなくて、歌詞を覚えるのがやっと」

 

 鶴太郎さんはマッチを演じつつ、一心不乱にスタジオ中を暴れまわり、セットを破壊して、最後にマッチが死ぬという奇想天外なオチで撮影は無事に終了した。

 

 チャンスは、その翌週にわけもわからず訪れた。月1回のペースで出ていた『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系)の生放送に出演したときだ。

 

「番組のオープニングに『今日のゲストはひょうきんマッチです』って言われて出ていったら、お客さんが『ギャー!』ってなって。先週出たときと反応が全然違うんですよ。

 

 それでオープニングが終わって楽屋に戻ったら、横澤さんが走って来て『鶴ちゃん! 来たよ! これを逃したらダメだ』ってガッチリ握手してきたんです。

 

 その日は小森のおばちゃまのモノマネで漫談をやる予定だったんだけど、横澤さんが「おばちゃまはいいから、マッチやろうマッチ!」って言って、急遽マッチをやったらドカーン! ってウケて。そこから仕事が激変ですよ」

 

 鶴太郎さんは、10歳のときから動物の泣きまねや浦辺粂子、たこ八郎、小森のおばちゃま、坂上二郎などの声帯模写の技術を磨いてきた。しかしヒットしたのは、3日しか練習していない付け焼刃のマッチのものまねだった。これは鶴太郎さんが長年ものまねを磨いた技術があったからこそ、付け焼刃でもヒットしたに違いない。

 

 鶴太郎さんの「ヒット夜明け前」には、芸人人生の節目に必ず現れる横澤彪プロデューサーとの出会い、そして10歳から磨き続けた匠の技があった。ひょうきんマッチはこうして誕生したのだ。

 

取材・文/インタビューマン山下
 1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・お笑いジャーナリスト

 

※片岡鶴太郎の「鶴やしき」第1回公演「寄席あつめ」は12月7日、かめありリリオホールにて。第2回公演「ちょっちゅね団子」は12月18日、浅草花劇場で関根勤を迎えて開催予定

続きを見る

エンタメ・アイドル一覧をもっと見る

エンタメ・アイドル 一覧を見る

今、あなたにおすすめの記事