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藤波辰爾が修業の原点を語る「ジャングルに置いてけぼりで…」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.01.27 20:00 最終更新日:2020.01.27 20:00
66歳という年齢でありながら現役バリバリのプロレスラー・藤波辰爾が、今年、現役生活50周年を迎える。そんな藤波に、修業時代のエピソードを聞いた。
「17歳のころかな。アントニオ猪木さんの付き人としてタンザニアのジャングルに行ったときのことなんだけど、初めての海外旅行だった僕をその場に残して、先に帰ってしまったんですよ。周りを見渡してもマサイ族しかいないような場所にね(笑)。
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あのころは、日本とタンザニアの直航便なんてないから、ナイロビ、ムンバイ、バンコク、香港と回り道をして日本にたどりつきました。
猪木さんに挨拶に行くと、『おう、帰ってきたか』とニヤッと笑っていましたね。旅っていうのは、トラブルが起きるから勉強になるんですよ。それを体験させてくれた猪木さんには、感謝しています」
1975年から、西ドイツ、アメリカ、メキシコと、各国で修行を積んだ。
「当時は、帰国命令があるまで日本に戻れなかった。しかも通訳もコーディネーターもなしに片道切符だけを渡されて、見知らぬ土地に送られるわけですよ。ドイツでの遠征期間が終了したら、アメリカの選手に連絡を取って、自分で次の遠征先も決めていました。
修業っていうのは、リングの上でおこなうことだけじゃない。知らない土地の言葉や文化に囲まれながら、どのようにサバイバルしていくか。失敗を繰り返しながら、学んでいくのが本当の修業なんです」
大きな節目の年を迎えた藤波辰爾は、いま、どのような未来を見据えているのか。
「僕は、引退を考えたことがないんです。70歳になってもリングに上がっていると思います。そのためには、リングシューズとトランクスを履いた姿を見たお客さんに十分戦えると思ってもらえる体づくりをしなければならない。
それだけプロレスが好きだし、プロレスがなかったら、世界のことをこれほど知ることはできなかった。そのプロレス文化を過去のものにしないように伝えていくのが、僕のすべきことだと思っています」
ふじなみたつみ
66歳 1953年12月28日生まれ 大分県出身 16歳で日本プロレスに入門し、1971年デビュー。1975年6月に海外遠征へ出発。カール・ゴッチ氏のもとで修行を積み、1978年1月にWWWFジュニア・ヘビー級王座を獲得した。同年2月に帰国、空前のドラゴンブームを巻き起こし、ジュニア戦線を確立。第77代NWA世界ヘビー級王者。2015年に日本人2人目のWWE殿堂入りを果たした
※1月27日、藤波辰爾さんが『東京オーディション(仮)』(TOKYO MX)に出演します