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はなわ、借金生活から救ってくれた恩人は福山雅治と原口あきまさ

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.01.31 20:00 最終更新日:2020.01.31 20:00

はなわ、借金生活から救ってくれた恩人は福山雅治と原口あきまさ

 

 はなわが、1月28日放送の『幸せ!ボンビーガール』(日本テレビ系)でボンビー時代を語った。

 

 埼玉に生まれ、小学6年生のときに佐賀に移り住んだはなわ。両親、兄、弟との5人暮らし。本人は運動神経抜群のためクラスの人気者で、バレンタインチョコを100個もらったこともあった。

 

 

 兄の影響から音楽にのめりこみ、小学校4年生から曲を作り始めた。高校卒業後に上京して、手に職をつけるため東放学園の照明コースに進学。住んだ部屋は風呂なしだが、5分100円の共同シャワーがあり、効率よく使うため、あらかじめ泡をつけてから洗っていた。

 

 レストランでアルバイトをしながら、食事は自衛隊で働く先輩の父親から定期的に送られてくる缶詰や乾パンをおすそ分けしてもらっていた。「乾パンを食べすぎて嫌いになった」と回想するが、その先輩とは原口あきまさだったという。

 

 照明コースから芸能コースに転じると、芸能プロのマネージャーからスカウトされ、大手芸能事務所に所属した。

 

 立て続けに風邪薬とカップ麺のCMに出演するが、次第にオーディションに通らなくなり、「低迷期が続いた。全然お金がなかった」とコメント。

 

 そのころ、中学時代にあこがれていた1歳年上の先輩女性と再会し、結婚へ。子供を授かり、芸能活動をやめようとしたが、妻に「あきらめるなんて言わないで」と後押しされる。

 

 だが、仕事がまったくなく、消費者金融から借金した額は200万円に達した。当時は、魚肉ソーセージを焼いたものを「魚肉ステーキ」と呼んで食べていたという。

 

 当時、食事はもちろんお風呂も原口にお世話になったという。デビューから8年、小学校から作曲した曲が3000曲以上になったころ、その1曲を福山雅治がラジオ番組でかけてくれた。それが2003年に25万枚の大ヒットとなった『佐賀県』で、同年に『紅白歌合戦』に出場した。

 

 はなわは佐賀県について、西日本新聞で「日本で一番住みやすい場所。その素晴らしさを伝えるためにも、ちゃんと今の佐賀を見つめ直した曲を作り、ふるさとに恩返しをしたい」と熱弁している。

 

 昨年、はなわは映画『翔んで埼玉』の主題歌『埼玉県のうた』を担当。男装ユニット・風男塾のプロデュースなど多方面で活躍している。

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