「私ね、還暦のお誕生日は、逃げ出しちゃったんですよ。日本にいて、皆さんからお祝いしてもらうには自分が未熟すぎると思って、韓国に行っちゃったの(笑)。
でも、去年の秋に64歳を迎えて、やっとこれから自分が歩いていく……歩いていきたい道が見えてきたんです」
【関連記事:デビュー35周年「芳本美代子」もう一度、歌っちゃおうかな!】
2019年の夏、麻丘めぐみは母親を看取った。
「それまでは、ずっと『母の娘』としての私と、『娘の母親』としての私に、がんじがらめになっていたように思うんです。娘はもう自立しているのに、私のほうがまだ子離れできていなかったの。
だけど、母を見送ったことで、自分を縛っていた霧が、スーッと晴れた。そのときに、このお話をいただいたんです」
このお話……それは、29年ぶりの新曲のレコーディングだった。
「それまでの私だったら、断わっていたと思うんです。でも、『自分を含むすべての人たちへの、応援歌みたいなものだったら歌いたい』と」
作詞家の松井五郎氏に思いの丈を伝え、届けられた新曲『フォーエバー・スマイル』の歌詞を読んだとき、彼女は涙をこぼしたという。
「私のすべてが詰まっていたんです。この歌は、いまの私そのもの。私ね、これまでの人生で、こんなに自由なのは初めてなの!」
そう言って、晴れ晴れと笑う。
3歳で子役として舞台を踏み、ティーンモデルを経て、16歳のときに、『芽ばえ』で歌手デビュー。瞬く間にヒットチャートを駆け上がった。1972年のことである。
「当時は、毎日のように歌番組があったんですけど、衣装が2枚しかなかったんです(笑)。仕方がないから、母が生地屋さんで端切れを買ってきて、ミニスカートを縫ってくれました。カーテン用のポンポンを、飾りにつけてくれたりしてね(笑)」
3カ月ごとに新曲が発売され、5枚めの『わたしの彼は左きき』が爆発的ヒットに。
ブラウン管のなかで歌う麻丘は、このうえもなく可憐で、男の子たちは彼女に恋をし、女の子たちは “お姫さまカット” の真似をした。しかし……。
愛らしい笑顔の奥で、彼女は思っていたという。「このままじゃ私、へんな人になっちゃう」と。
「大人たちに言われるがままに、あちこち行って歌う。週末は地方でコンサートがあったんですが、空港や駅から会場に直行して終わったらホテルに戻るだけ。だから、行った土地のことを、なにひとつ覚えてないんです」
落ち着いて食事をする時間もなく、毎日ラーメンやチャーハン、鍋焼きうどんばかり食べていた。
「なのに取材では、『好きな食べ物はパフェ』って答えなきゃならないわけですよ。あのころのアイドルは、非現実感を求められていたと思うんですけど、私の中ではずっと、『こんなのは私じゃないんだけどな』という葛藤がありました」
そんな思いを抱えていたのは、彼女だけではなかった。今でも親交がある、浅田美代子(63)も南沙織(65)も、アイドルと本当の自分の狭間で翻弄されていた。
「3人で、将来のことばかり話していました。『この状態は絶対におかしいよね。これからどうすればいいんだろう』って。彼女たちがいてくれたから頑張れた。気持ちを共有できたから」
20歳になるころ、やっと取れたオフの日に自宅を訪ねてくれた幼馴染みから、かけられたひと言も大きかった。
「青白い顔をしている私に、彼女が言ったんです。『そんな幽霊みたいな顔をしてちゃダメ。外に出なさい!』って」
ひとりで出かけた街は、刺激に満ちていた。
「当時の六本木は、本当の意味でおしゃれな人たちが集まる街で、オールディーズを流すお店に、毎日のように通いました。人から見られたり、マネージャーに注意されたりするのなんて、全然気にならないくらい楽しかった」