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自分の居場所はひとつだけ…近江谷太朗が振り返る「役者の道」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.02.29 16:00 最終更新日:2020.02.29 16:00
「懐かしいなあ、カウンターのなか。昔をしていたころ、この店で5年間アルバイト店員をしていたんです。ピアノの生演奏が流れるなかで働いていました。音楽を楽しむお客さんの顔から、『役者でやってやる』というエネルギーをいただいていましたね」
約30年前、役者を目指して上京した近江谷太朗(54)。最初に見つけた居場所が、ジャズが楽しめる居酒屋「バガボンド」だった。
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「人前で、ドリフターズのものまねをするような子供で、誰かを喜ばせる職業に憧れていました。21歳のとき、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで、“大きな生き方” に憧れ、俳優を目指したんです」
就職活動が解禁された日、大学4年生の近江谷は、大学のある仙台から高知の坂本竜馬像まで、自転車で22日間の旅をした。
「俳優になるという強い決意を、その無茶な行動で表わしたかったんです(笑)」
その道中、東京で観た舞台で、役者への思いはいっそう強くなった。
「『ぴあ』を買って、たまたま予定が合った劇団離風霊船の『ゴジラ』(1987年、大橋泰彦作・演出)を観たんです。着ぐるみを使わず、普段着の俳優がそのまま、ゴジラを演じていました。『こんな世界があるんだ』と、衝撃を受けました」
大学卒業前に受けた、三宅裕司率いる「スーパー・エキセントリック・シアター(SET)」の研究生試験に合格 。1988年、卒業と同時に上京し、演劇活動とバイトに明け暮れた。
「映画やテレビへの憧れはありましたが、当時は、とにかくいい舞台をやろうと必死でした。ですが、SETでは卒業公演に1回出させていただいただけで、その後、声はかかりませんでした」
バガボンドに週5回出勤する生活に変化が訪れたのは、1989年。店に「演劇集団キャラメルボックス」のメンバーが、公演ポスターを貼りに来たときだ。そのポスターに書かれていた、劇団員の募集に応募。同じオーディションを、上川隆也も受けていた。
「結果は、2人とも合格でした。もっとも、僕と上川が受けたとき、応募者は5人しかいなかったんですけどね(笑)」
難解な作風を競った小劇場界で、エンタメ性溢れるキャラメルボックスは、一大ブームを巻き起こした。
「僕が入団した2〜3年後には、劇団員を募集すると、200人以上が応募してきました。そのころ、僕はバガボンドで店長的立場で(笑)、お店全体のことを考える機会が多くなりました。
『それは役者としてよくないな』と思い、収入に不安はあったのですが、1993年にお店を辞めたんです。すると不思議なもので、役者の仕事が増えてきたんですよ」
出身地である北海道での初公演や、他劇団への客演、そして主演など、近江谷にとって1990年代半ばは、舞台での活躍の場を広げていった時期だ。