「ここに通うようになって、20年くらいかな。鴨鍋が有名で、旨くて、安くて、びっくりするよ。みんなも飲めばいいじゃない。酒飲みながらやろうよ。お母さん、ビールちょうだい。これ、なんの取材だっけ。『FLASH』? 俺みたいな変人が出られるの?
俺ね、ヘルシーなものを食べるようにしてるのよ。ここのメニューだと、水菜とジャコサラダ、生ハムのシーザーサラダ、ラッキョ、焼きそら豆……。これ、ぜんぶ頼もうよ。いい?」
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“怪優” 六平直政(65)はそう言って、ビール片手に、東京・調布の「甲州屋」で、お気に入りのメニューをほお張った。
「俺は貧乏育ちだから、食の好き嫌いなんかないけど、人間の好き嫌いはあるよ。役者でも、スタッフや、まわりに優しくないヤツは嫌いだね。好きなのは、(中村)勘三郎さんみたいに、スタッフ思いで気前がよくて男っぷりのいい人」
アクの強さが魅力の六平だが、幼少時代は、「おしゃべりばっかりしてる子供だった」という。
「授業中、後ろばっかり向いてて、先生にチョークを投げられてた。落ち着き、ゼロ。俺、B型だし、人の話を聞いてないからね。今だって、ほとんど聞いてないよ(笑)。自分より優れた人の話は聞くけどね」
演技で見せる “アウトロー感” の原点は学生時代にあり、と思いきや、意外にも六平は優等生だった。
「学校の勉強は、先生の話を聞いてなくても、いつも100点。スポーツもできたから、モテモテだったよ。髪の毛もいっぱい生えてたしさ。
進学校だったから、俺も東大の『文3』にでも入ろうかと思ってたけど、高校3年の夏前に、俺は絵を描いたり、モノを作ったりするのが好きだから、やっぱり美術の大学に行こうと思ったわけ。
結局、1浪して受かったのが多摩美術大学と武蔵野美術大学。で、武蔵美(むさび)に入り、どっかのクラブに入ろうと思って見渡したら、美人が集まってる部室があった。それがスキューバダイビングクラブだったのよ。男の部員が4名で、女は35名くらいいた。最高だったね」
大学3年のとき、芸術家に弟子入りをする。
「俺の師匠の彫刻家・篠田守男先生が、『大学を辞める』と言うんだよね。『はぁ?』って。『俺は、先生に習おうと思って武蔵美に入ったのに、それじゃ、つっかえ棒を外されるようなもんだ』って。
それで、八王子にある篠田先生のアトリエに毎日通ったのよ。そしたらある日、『ろっぺい(六平)君はおもしろいな。俺の弟子にしてやる』って。それで毎日、篠田先生のアトリエで勉強してた。知ってる? 篠田守男。都庁のロビーに作品が飾ってあるよ。
大学院に進んで、しばらくして武蔵美の主任教授に、『大学に来て、後輩に指導しろ』とか言われて。俺は、『学費を払ってる立場なのに、なんで俺が後輩を指導しなきゃいけないんだよ』って、大喧嘩して辞めちゃった。この話、100万回しゃべってるから聞かなくてもわかってんじゃないの?(笑)」