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六平直政、美大時代に始めた役者人生は「所詮“おままごと”」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.03.04 20:00 最終更新日:2020.03.04 20:00
役者の道に入ったきっかけも、「師匠」だった。
「20歳のとき、篠田先生が、新聞広告を持ってきて、『劇団の「状況劇場」が、スタッフとキャストを募集してるよ』って。『ろっぺい君は大彫刻家になると思うけど、芸能の世界も向いてるんじゃない? 応募してみたら?』って言われたんだよ。
俺も、唐さん(劇団主宰者の唐十郎)の舞台セットが好きだったから、『セットを作るのはいいな』と思って受けたわけ。3000人応募して30人採用。そのなかの1人に入った。
その劇団にいるあいだ、お金はほとんどもらってなかった。トータル9年間で20万円弱。でもね、若いから、それが不幸だと思わなかった。才能ある唐さんのそばにいて、唐さんが満足いくようなセットを作って、芝居をして、唐さんに『おもしろい』って言われるのが楽しかったから」
とはいえ、生活費も必要だ。
「ずいぶんアルバイトをやったよ。ビルの掃除、板前、ファッションショーの大道具、居酒屋店員、お化け屋敷の人形づくり。300種類? それくらいやってるね。郷ひろみさんの結婚式、石原裕次郎さんの告別式にも “参加” したよ。大工のひとりとしてね(笑)。
2年くらい、チリ紙交換もやったね。(声色を使って)『ご家庭内でご不要になりました古雑誌、古新聞~』ってマイクで言うのよ。車にマイクとスピーカーがついてるから、ちょっとした悪戯もできる。
もう、今となっては時効だけど、駐車禁止エリアに車が停まってるじゃん。『はい、そこの品川ナンバーの○○-◯◯。すぐ移動してください』って言うと、パトカーだと思って、すぐに移動するんだよ。ひゃっひゃっひゃっ」
劇団員生活で、現在まで続く “仕事哲学” を培った。
「33歳のとき、金守珍に誘われて、劇団『新宿 梁山泊』を旗揚げしたけど、お金になんかならないわけよ。ちょうど子供もできてたし、稼ぐならどこかの事務所に入って、テレビや映画をやればいい。でも、舞台が好きだからね。
いまも、マネージャーが取ってくる仕事のなかには、小さな役もあるのよ。だけどね、俺は断わらずにやるようにしてる。なぜかというと、どんな小さな仕事でも、作ってる人たちは必死に、一生懸命作ってるんだから。
この『FLASH』のエロ記事でもね、作ってる人は必死だから(笑)。だから、オファーが来れば引き受けて、必死にやるよ」
役者という稼業にも、思うところがある。
「唐さんや、大先輩の役者さんたちに、『役者は、役者人生を振り返ったとき、5本、人に言える作品があったら最高に幸せだ』って言われたけど、俺、5本もないもんな。
梁山泊でやった『少女都市からの呼び声』(1993年、作・唐十郎/演出・金盾進)と、映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1994年、深作欣二監督)、『スーパーの女』(1996年、伊丹十三監督)くらいだね。40年近くやって代表作3本しかない。『復讐 運命の訪問者』(1997年、黒沢清監督)を入れても4本だ。
なかなかいい作品には出会えないもんだけどさ、所詮、俺たちがやってることって、“ちょっと高級で、アートなおままごと” みたいなものなんだよ。あなたはお父さん役、あなたは刑事役で、あなたは殺人犯ってさ」
深い洞察がこめられた役者談義にひと息つけると、愉快な “六平節” が戻ってきた。
「もう終わりか? 『舞台に出るとき、いつもどんなことを心がけてますか?』とか、そういういい質問をしたら、素晴らしい答えをするけど、なかったから、もういいや(笑)。
頼んだものを残したら、バチが当たるからね。みんなで最後まで食おう。今日は、まだまだ飲むぞ」
むさかなおまさ
65歳 1954年4月10日生まれ 東京都出身 武蔵野美術大学彫刻科卒業、同大学大学院修士課程中退。劇団「状況劇場」を経て、「新宿 梁山泊」の旗揚げに参加。『ジャズ大名』(1986年、岡本喜八監督)で映画初出演。以降、独特の風貌を生かして映画、舞台、ドラマと幅広く活躍。現在、ドラマ『テセウスの船』(TBS系、日曜21時~)に出演中
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(週刊FLASH 2020年3月3日号)