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甲子園にモスラ…朝ドラ『エール』古関裕而は天才すぎる作曲家
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.04.04 06:00 最終更新日:2020.04.04 06:00
【古関裕而の代表曲ディスコグラフィ】
●1931(昭和6)年
・『福島夜曲』
レコードデビュー曲『福島行進曲』のB面。「夜曲」は、“せれなあで” と読み、作詞は竹久夢二
・『紺碧の空』
早稲田大学第一応援歌。発表当時は、第六応援歌だった
●1935(昭和10)年:『船頭可愛や』
古関裕而初のヒット曲。
●1936(昭和11)年:『大阪タイガースの歌』
いまも歌い継がれている、通称『六甲おろし』
●1937(昭和12)年:『露営の歌』
当時としては異例の60万枚以上の大ヒットに。
●1940(昭和15)年:『暁に祈る』
作詞・野村俊夫、歌・伊藤久男。“福島三羽ガラス” といわれた3人によるヒット曲。
●1946(昭和21)年:『我ぞ覇者』
慶應義塾応援歌
●1947(昭和22)年:『とんがり帽子』
ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』主題歌
●1948(昭和23)年:『栄冠は君に輝く』
夏の全国高等学校野球選手権大会の歌
●1949(昭和24)年
・『スポーツショー行進曲』
NHKスポーツ中継テーマ曲
・『長崎の鐘』
原爆症の記録を残した永井隆博士の著書をもとにした鎮魂歌
●1952(昭和27)年:『君の名は』
ラジオドラマ『君の名は』主題歌
●1961(昭和36)年:『モスラの歌』
映画『モスラ』の劇中歌。ザ・ピーナッツが歌唱、話題になった
●1963(昭和38)年:『巨人軍の歌』
巨人軍球団設立30年で制定された球団歌。通称『闘魂こめて』
●1977(昭和52)年:『ああ甲子園』
アニメ『ドカベン』挿入歌。
【古関裕而の生涯】
●1909年(明治42年)
8月11日、福島県福島市に生まれる。本名は勇治。生家は福島有数の呉服屋「喜多三」
●1919年(大正8年)
卓上ピアノで作曲を始める
●1928年(昭和3年)
福島商業学校卒業。川俣銀行に就職、福島県川俣町で暮らす
●1929年(昭和4年)
舞踊組曲『竹取物語』が、英国チェスター楽譜出版社の作曲コンクールで二等に入選
●1930年(昭和5年)
受賞が新聞で大きく報じられて、愛知県豊橋市の内山金子と文通が始まる。6月に金子と結婚、9月に夫婦で上京
●1937年(昭和12年)
劇作家・菊田一夫と出会う。2人はラジオドラマ『鐘の鳴る丘』『君の名は』、舞台『放浪記』などの名作を生み出す
●1945年(昭和20年)
3月に召集されて横須賀海兵団で1カ月間、軍隊生活を送る。北支従軍(1937年)、南方慰問団(1942年)、インパール作戦従軍(1944年)では戦地に赴いた
●1964年(昭和39年)
東京オリンピック開会式の入場行進曲『オリンピック・マーチ』を作曲
●1972年(昭和46年)
札幌オリンピックの賛歌『純白の大地』を作曲。入退場の行進曲としても使われた。『オールスター家族対抗歌合戦』審査員長を、1984年まで務める
●1979年(昭和54年)
妻・金子が68歳で逝去
●1986年(昭和61年)
作曲家を引退
●1988年(昭和63年)
福島市古関裕而記念館、開館
●1989年(平成元年)
8月18日、脳梗塞のため80歳で逝去。国民栄誉賞授与が遺族に打診されたが、遺族は辞退
写真提供・古関正裕氏
(週刊FLASH 2020年4月14日号)