3月30日に始まった朝ドラ『エール』が描くのは、昭和の日本を勇気づけた作曲家・古関裕而と、その妻・金子の物語だ。『オールスター家族対抗歌合戦』(フジテレビ系)で、裕而と12年間共演した萩本欽一が秘話を明かす!
「小学生のころ、外で遊んでいると、どこからか『とんがり帽子』(菊田一夫作詞)が聞こえてきてね。そのころは、ラジオを聴いてると、いつも『作曲、古関裕而』って言ってたから、日本の曲は全部、古関先生が作っているんだと思ってたよ(笑)。
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『そんな偉大な先生を、番組の審査員長に呼んじゃったの?』って、最初は恐ろしかったね。
僕が司会をしていた12年間、先生はね、何もしゃべらず、笑って頷くだけ。歌手で作曲家の近江(俊郎)先生が話を振るでしょ。そのときもただ、にこーって。笑うというか、自然と笑顔が溢れる感じなの。お地蔵さんのような、穏やかな方だった(笑)」
いまでも、思い出すことがある。
「放送開始から10年たったころ。近江先生が『欽ちゃん、番組の中で座ったことないよね。我々に気を遣うことはない、座ったほうがいいよ』って言ってくれたわけ。
すると古関先生、『座りな』と言うように、自分の椅子の横をトントンって叩いたの。『今後も座りません』って言ったら、そのときも、にっこり笑ってらした(笑)。
家もほんの数軒先で、奥さんと手を繋いで歩いている姿をよくお見かけしました。たくさん曲を作っているのに、家は普通の一軒家。俗世界にふれたことがない方だよね。だから、あれだけの透き通った曲ができたんだと思います」
裕而は1972年から12年間、同番組に審査員長として出演し、お茶の間でも人気者となった。番組のプロデューサー兼ディレクターだった浜口哲夫氏(75)が、当時を振り返る。
「僕らが目指したのは、出演家族のヒューマンドキュメンタリー。笑って歌って、楽しく家族のありようを伝える。そのコンセプトをご理解いただいて、出演してくださったんだと思っています」
訥々とした語りは、番組の名物に。
「古関先生は、一生懸命お話しになればなるほど、つっかかったりする。それがまた素敵なんです。
にこにこしながら歌を聴いていらして、精いっぱい、歌った家族を褒める。そういうときの古関先生の存在感は、萩本さんとは別の意味で、番組のシンボルでした。戦後日本を復興させ、国民の気持ちを明るく奮い立たせた大功労者のひとりです」
そんな姿が、エールではどう描かれていくのか……いまから楽しみだ。
(週刊FLASH 2020年4月14日号)