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篠原涼子、興味ない女優業と向き合うきっかけは蜷川幸雄の笑顔

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.04.18 20:00 最終更新日:2020.04.18 20:00

篠原涼子、興味ない女優業と向き合うきっかけは蜷川幸雄の笑顔

 

 篠原涼子が、4月15日放送の『1周回って知らない話』(日本テレビ系)で、役者に向き合ったきっかけを明かした。
 

 中森明菜に憧れ、もともと歌手志望だった篠原。だが、初めての仕事はドラマ『高速戦隊ターボレンジャー』(テレビ朝日系)への出演だった。当時、「撮影中も早く終われと思っていた。演技に興味がなかった」とイヤイヤだったと明かす。

 

 

 その後、アイドルグループ・東京パフォーマンスドールへの所属や、小室哲哉プロデュースの『恋しさとせつなさと心強さと』で順調に歌手人生を歩んだ。だが、「売れたのは自分の力ではなく、小室さんの力のおかげ。自分の力のなさに絶望した」と自信をなくしてしまう。

 

 1996年、『ナニワ金融道2』(フジテレビ系)でヒロインを演じると、監督から演技力を評価され、自信がついた。
 多くの作品を見て勉強したが「思ってもいないセリフを言うのは気持ちが悪い」と抵抗感を捨てきれずにいた。

 

 芝居に向き合えるようになったのは、2001年、舞台『ハムレット』を演出した蜷川幸雄との出会いがきっかけだったという。蜷川から直々にオファーをもらうも、「カツラかぶって、無理して大声を出すなんて、無理です。やりたくない」と一度は断った。

 

 だが1週間後、寝ようとしたときにふと蜷川の笑顔が思い浮かんだ。

 

「一度しか会わなかったのに、優しい笑顔しか印象に残らなかったんです。一緒になにか仕事をしたら、いいことがありそうだ、と思って。電話して『まだ間に合うんだったらやらせてください』と頼みました」

 

その後、顔合わせで現在の夫・市村正親と出会うも、第一印象は最悪だった。

 

「顔合わせだと、ハキハキと言わなきゃいけないんだろうな。『なんとかでなんとかで』と、大きい声で立ち上がる人がいるんだろうなと想像していたんです。そしたら私の隣にいた大きな人が立ちあがって、ハキハキと言ってて……。顔を見たら市村正親だったんですが、イヤだな、この人とずっとやっていくんだと思ってました」

 

 以後、『ハケンの品格』(日本テレビ系)などで女優として頭角を現す。蜷川の笑顔が思い浮かばなければ、今の篠原はなかったのかもしれない。

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