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神保悟志、『相棒』の演技は「赤坂の会員制クラブで学んだ」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.04.19 11:00 最終更新日:2020.04.19 11:00
神保が今の道を歩むことになったきっかけは、高校時代の担任教師との出会いだった。
「担任の現代文の先生が、プロの画家でもあったんです。その先生と接しているうちに、『僕も表現者になりたい』という気持ちが芽生えました。そんなとき、黒澤明監督の『七人の侍』を観て、将来を決めました」
だが、「役者になりたい」という夢は、誰にも告げなかった。
「親を安心させるため、横浜の歯科技工士学校に進みました。国家資格も取りましたが、一度も歯科技工士の仕事をしたことはありません(笑)」
その後は、いくつかの劇団を転々とした。
「バブル最盛期には、赤坂の会員制クラブでバイトをしていました。政財界の重鎮や、VIPだけが入れる店で、『こういう人たちが社会を動かしているんだ』と衝撃を受けたし、勉強になりました。
彼らの所作を観察していた経験が、『相棒』の大河内役や政治家などの役を演じるときに生きているのかもしれません」
役者だけでは食えない。20代のころは、男性化粧品のCMモデルとして活動した。
「CMを何本やっても、名前は覚えてもらえない。『役者として活動したい』という焦りがありました。『30歳までに結果が出なかったら、やめよう』。そう決めていました」
転機は29歳で訪れた。東芝日曜劇場『父の鎮魂歌 海軍主計大尉 小泉信吉』(TBS系)の主役に、オーディションで抜擢されたのだ。
「実在の人物を描いたドラマで、脚本が山田太一先生、父親役は杉浦直樹さんという大きな作品でした。自分で決めた期限に『ぎりぎり間に合った』という実感がありました」
そこから、前述のような多忙な毎日が訪れるまで、時間はかからなかった。
「役者として天才肌ではないですし、狂気で弾けるタイプでもない。僕は平凡な人間です。でも、昼ドラや2時間ドラマで培った、『言われた瞬間にスイッチを入れ、その役を演じる』という切り替えは得意だと思います。
ただ、僕には天邪鬼な部分もある。ニーズに応えつつも、イメージを裏切っていけたら、役者としては最高に楽しいですね」
いまもTMCスタジオで撮影があると、神保の足は「蕎亭 仙味洞」に向かう。がむしゃらに演じていた当時と変わらず、うどんは必ず大盛りにするという。
じんぼさとし
1962年12月3日生まれ 静岡県出身 高校卒業後、歯科技工士の資格を取得するも役者を志す。CMモデルとして活動中の1992年、ドラマ『父の鎮魂歌 海軍主計大尉 小泉信吉』(TBS系)に主演。1990年代は、昼ドラや2時間ドラマの常連俳優として活躍。『相棒』シリーズには、2003年のシーズン2より出演中
【SHOP DATA/蕎亭 仙味洞】
・住所/東京都世田谷区千歳台3-9-5
・営業時間/11:00~15:00、17:00~20:00
・休み/水曜
(週刊FLASH 2020年4月14日号)