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芋洗坂係長、歌って踊れる俳優の極意「なるべく練習しないこと。本番で実力を発揮できるように温存しなきゃ」

エンタメFLASH編集部
記事投稿日:2024.05.12 11:00 最終更新日:2024.05.12 11:00

芋洗坂係長、歌って踊れる俳優の極意「なるべく練習しないこと。本番で実力を発揮できるように温存しなきゃ」

芋洗坂係長

 

「遠いところまでお越しいただき申し訳ありません」

 

 オーバーオールにスカジャン。アメカジファッションがよく似合う芋洗坂係長と待ち合わせたのはJR浜松駅。

 

 そこから徒歩で、串焼きが美味しいと評判の「呑み処 串心(くしさね)」に向かったのだが、芋洗坂の出身地は福岡県北九州市。過去、浜松に住んでいたという話も聞いたことはないが……。

 

 

「こちらのオーナーさんが、僕が出演していた六本木のショーパブによく遊びに来てくださったことがご縁になり、親しくさせていただいています。かれこれ20年ですね。3年前、故郷の浜松に帰り、飲食店を始めるとお聞きしたので、看板の文字を書かせていただきました。『串』の字をよく見ていただくと、上の『口』は『く』で、縦の線は『し』、もうひとつの口は『の』になっています。それで『くしの心』。細かくてすみません」

 

 芋洗坂は笑いながら、体重105kgとは思えない軽やかな足取りで暖簾をくぐった。

 

 カウンターに座り「芋掘り、芋洗い、撰別、ラベル貼りなど、すべての製造工程に関わっています」という芋洗坂オリジナルの芋焼酎「よか晩 よか酒 よか出逢い」の水割りを飲みながら、ダンスの楽しさを知った小学6年生当時の思い出を語ってくれた。

 

「姉が中学の文化祭で田原俊彦さんの『哀愁でいと』を歌うことになり、『一緒に覚えてよ』とお願いされたことがきっかけでした。テレビを見ながら『振り』をコピー。それからハマってしまったんです。近藤真彦さん、シブがき隊、少年隊らアイドルの振りを覚えて学校の音楽室で披露。それが話題になり、校内放送で『ワンマンショーをやります』と告知をするほどになりました」

 

 中学生になるとドラマ『服部半蔵 影の軍団』(1980年、関西テレビ)の千葉真一さんに憧れ、殺陣を覚えた。

 

 高校の文化祭では教室に即席のステージを作り、脚本も書いて、時代劇と歌謡ショーを上演したという。

 

「高校の卒業間近になってもダンスは続けていて『将来、これを仕事にできればいいな』と思い始めていました。そのため、進学先に選んだのはダンスコースがある専門学校の京都校。そこを卒業して上京しました。『デビュー』という雑誌でオーディションの仕事を探し、『長期で働けて、やりたいダンスができそうだな』ということで六本木のショーパブにお世話になりました」

 

 その店で俳優の田口浩正と出会い、劇団「PROJECT TENSION」を結成する。1988年のことだった。

 

「六本木の店は入店半年後に閉店したので新宿のショーパブに移り、並行して演劇の舞台も精力的におこなっていました。翌年、『お笑いの門を叩いてみないか』ということになりホリプロさんに所属。お笑いコンビの『テンション』を結成しました。ライブでは好きなダンスやパントマイムも取り入れていました」

 

 やがて田口は俳優業が忙しくなり、芋洗坂も「お笑いは好きだけど、やはりダンスと芝居をやりたい」とあらためて思い、「テンション」は5年の活動を経て休止した。

 

 そして2008年、芋洗坂に大きな転機が訪れる。ピン芸人のナンバーワンを決める『R-1ぐらんぷり』で初出場にして準優勝という快挙を成し遂げたのだ。

 

「ピン芸人になるつもりはなかったのですが、 コンビでデビューしてその後も劇団、トリオなど複数人数での稼働ばかりだったので『自分一人の力を試してみたい』という気持ちもありました。上からつつかれ、下から突き上げられてもヘラヘラするサラリーマンキャラは劇団時代に誕生しました。

 

『R-1』以降は生活が180度激変。仕事の依頼が殺到したため事務所のファクス用紙が一日一本なくなりました。当時はテレビでもネタ番組が多かったですし、地方イベントにもひっきりなしに声をかけていただきました。『歌って踊れる、ぽっちゃり芸人』は珍しい存在だったみたいです」

 

 大会後、最初に引っ越しをして、外車を購入した。

 

「壁が薄くて大家さんから『いびきがうるさい』と苦情を言われていた家賃9万円の木造アパートから、三軒茶屋の新築マンションに引っ越しました。家賃は18万円にジャンプアップ。新車でミニクーパーも買いました。小さな車ですが、大きな体の収まりがいいんです」

 

 しだいに俳優の仕事も増えていった。

 

「舞台と違ってドラマや映画は映像を切り取り、そしてつないでいきますから、出来上がった作品を観るときにワクワクする楽しさがあります。

 

 演技の勉強は、相方の田口が『劇団東京乾電池』の卒業生だったので教えてくれました。思い出深い作品は、ダウンタウンの浜田雅功さんが主演したテレビドラマの『明日があるさ』(2001年、日本テレビ)。ある場面で長台詞の俳優さんのNGが続いたんです。最初は出演者の方も『ええねん、ええねん』でしたが、さすがに10回を過ぎるころには皆さん無口になられて。そんなとき間寛平さんが『ア〜メマ!』と言ってボケられたんです。それで一気に場がほぐれました。寛平さん、カッコよかったです。僕も、想定外のアクシデントが起きたときに現場を救えるようになりたい。そんなことを学びました」

 

 今年で芸能活動35年になる。変わらないキレキレのダンスステップの奥義を聞くと「なるべく練習をしないことです。本番で実力を解き放てるように体力を温存しているんです(笑)」。

 

 これはおそらく “ネタ” だろう。7月27日から上演されるミュージカル『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』のオーディションの激戦を勝ち抜き合格した実力派ダンサーなのだから。

 

「この作品は僕が今まで観たミュージカルの最高峰です。心から感動して、『いつか出演したい』と思っていました。

 

 いただいた役はボクシングのコーチ。厳しくも優しい、そしてコミカルなキャラクターです」

 

 芋洗坂は「やりがいがある役です」と意気込む。そして「芸能生活35年は怒涛の人生でしたが、ずっと芸事に携わることができて幸せです。食えないときも、ショーパブでお客様に芸を見ていただけました。ありがたいことですね」と言う。最後に、50代後半となった今どのような活動を目標にしているのか聞いた。

 

「これまで出会えた方たちと、僕が書いた本(脚本)と演出でステージを作れたらいいなと思っています。歌、ダンス、タップダンス、殺陣、大道芸など楽しい要素がいっぱい詰まっている舞台にしたいです」

 

 ほろ酔いの芋洗坂。夢を語る笑顔は、ダンスに魅了された小学6年生の少年のようだった。

 

いもあらいざかかかりちょう
1967年12月18日生まれ 福岡県出身 1989年に田口浩正とお笑いコンビ「テンション」を結成。バラエティ番組などで活躍。2008年『R-1ぐらんぷり』で準優勝。得意の歌とダンスをベースに俳優・芸人・ダンサーなど幅広い分野で活躍している。北九州市観光大使、城下町小倉公認アンバサダーを務める。ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』(東京公演7月27日~10月26日。大阪公演11月9日~24日)に出演。『芋洗坂係長のアイドルナイト~IMOはまだ56だから♪~』(東京公演24年5月14日、17日、18日)に出演

 

【呑み処 串心】
住所/静岡県浜松市中区千歳町24-1ジュン・ワンビル1階
営業時間/17:00~23:00(L.O.22:30)
定休日/月曜

 


写真・木村哲夫

( 週刊FLASH 2024年5月21日号 )

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