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松村雄基×伊藤かずえ 『スクール・ウォーズ』『ポニーテールはふり向かない』大映ドラマの過酷すぎる舞台裏!「しょっちゅう不良に絡まれて…」

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記事投稿日:2025.10.31 06:00 最終更新日:2025.10.31 07:33
出典元: 週刊FLASH 2025年11月11日・18日合併号
著者: 『FLASH』編集部
松村雄基×伊藤かずえ 『スクール・ウォーズ』『ポニーテールはふり向かない』大映ドラマの過酷すぎる舞台裏!「しょっちゅう不良に絡まれて…」

40年来の付き合いという松村と伊藤(写真・福田ヨシツグ)

 

 1980年代の『不良少女とよばれて』(1984年)『スクール・ウォーズ』(同年)『ポニーテールはふり向かない』(1985年)『乳姉妹』(同年、いずれもTBS系)……。多くの “大映ドラマ” で共演した松村雄基(61)と伊藤かずえ(58)。

 

 大胆なストーリーとドロドロの人間関係を劇画的に描き、社会現象を巻き起こした大映ドラマにおいて、2人は “黄金コンビ” として数々の名場面を残してきた。あれから約40年。2人の出会いから現場での苦悩の日々、そして名台詞の思い出などをたっぷり語ってもらった。

 

松村 かずえとの出会いは、僕にとって初めての大映ドラマ『少女が大人になる時-その細き道-』(1984年)でした。初日のロケは静岡・沼津駅前。デビュー間もなく、僕はスタッフに名前も覚えられていなかった。そんななか出番待ちの最中にカメラの後ろから見ていたら、いきなり監督に「バカヤロー」と怒鳴られて。そのとき撮っていたのが、恋人役のかずえが駅に降り立つシーンでした。

 

伊藤 全然覚えてない(笑)。

 

松村 僕はそんなことがあったので、その後の撮影では反抗的になって「おはようございます」「お疲れ様です」以外は、誰とも口をきかなかった。

 

伊藤 衣装部屋の隅でポツンとしてたよね。だから、最初は暗いイメージしかなかった。

 

松村 若いのにムッとしてしゃべらないから、機嫌が悪いと思われたのでしょうね。ただ、その姿が当時のプロデューサーの若いころと重なったようで、次の『不良少女とよばれて』で、暴走族のリーダー役に抜擢されたんです。

 

伊藤 私はその前に『高校聖夫婦』(1983年)に出演。オーディションで最後まで残ったのが、私といとうまい子(当時・伊藤麻衣子)さん。小さくてかわいらしいまい子さんがヒロインで、私は敵役。そこから “敵役” が定着していった気がします。

 

――松村さんは『不良少女とよばれて』で暴走族のリーダー西村朝男、『スクール・ウォーズ』では“川浜一のワル”大木大助と、伝説的な不良役を次々と演じてきました。

 

松村 不良役は西村朝男が初めてでした。衣装は白のダボダボのスーツに白のエナメル靴。当時の不良はリーゼントが主流でしたが、普通じゃつまらないとオールバックにしたんです。かずえも不良かお嬢様の役が多かったよね。『スクール・ウォーズ』では、白馬に乗って登場したしね。

 

伊藤 「馬上から失礼します!」ってね。あれだけ漫画チックな役は私くらい(笑)。

 

■高速の渋滞でシャコタン車に囲まれて……

 

――大映ドラマといえば、アクの強い登場人物に加え、強烈な台詞が印象的でした。

 

伊藤 「馬上から失礼します!」もそうでしたが、『不良少女とよばれて』では、タイマン場面で「生き残ったほうがくたばったヤツの骨壺を蹴とばすまでさ」。別のシーンでは「恋は壊れやすいのよ、ビタミンCのようにね」とか(笑)。あまりに恥ずかしくて監督に「言えません」と訴えたけど、「一言一句変えるな」と怒鳴られて諦めました。

 

――過酷なロケも多かったと評判でした。

 

松村 つらかったのは『スクール・ウォーズ』のラグビーシーンですね。教師役の山下真司さんは背広を着ているシーンが多かったけど、生徒役は真冬でも短パン。朝7時から吐く息も白く、震えながら芝居していました。

 

伊藤 『乳姉妹』のラストシーンもそう。朝霧のなか、港を出た船で松村くん演じる路男が亡くなる場面なんだけど、寒すぎて、死んでるのに震えてたよね(笑)。

 

松村 かずえが「早く撮影しないと本当に死んじゃう!」ってスタッフに言ってくれて助かりました(笑)。

 

伊藤 撮影中バイクで怪我したこともあったよね。

 

松村 バイクを車で牽引してもらっていたんだけど、山道のヘアピンで遠心力がかかって横転。足が台車に挟まれて何針も縫いました。でも、撮影が押していたので入院もできず、そのまま現場へ(笑)。

 

伊藤 喧嘩のシーンも多くて、アザができるのは日常茶飯事。私は『ポニーテールはふり向かない』で初めて主役をやらせてもらいましたが、少年院上がりのドラマーという役で、喧嘩のときはドラムスティックを持って変形二刀流みたいな。あと大変だったのが、ドラムを叩くシーン。両手両足を使うし、1カ月くらい必死に練習しました。

 

――2人とも不良役が多かったことで、本物のヤンキーに絡まれたこともあったとか!?

 

伊藤 当時、撮影所に電車で通っていたので、駅でスケバンに「あっ、伊藤かずえだ!」って声をかけられて、ヤバいと思ったら「握手してください!」って(笑)。それまで呼び捨てされたことなんてなかったので、ドラマの人気を実感しました。

 

松村 僕はしょっちゅう不良に絡まれていました(笑)。撮影に行く途中、高速の渋滞で大阪ナンバーのシャコタン車に囲まれて、松村だとバレてしまった。遅刻したくないから必死にやり過ごそうとしたけど、彼らはどんどん幅寄せしてくる。どうなることかと思ったら、車から身を乗り出して「サインしてくれ!」って(笑)。結局、彼らは警察に止められましたが、去り際に「松村さーん、僕たちは立派な不良になりまーす!」って叫んでました。大映ドラマは劇画チックで、ヤンキーたちにも親近感があったんでしょうね。

 

伊藤 ふだんの松村くんは、不良というより小姑かというくらい細かいのにね(笑)。

 

松村 今も「昔、大映ドラマ観てファンでした」と言われることはあります。でも、なぜか僕が普通の大人だとわかるとガッカリされる。僕がヤンチャだったのは、全部ドラマの話なんですけどね(笑)。

 

――撮影での苦労も絶えなかったようですね。

 

伊藤 昔はビデオじゃなくてフィルムでの撮影。1カメで1カットずつだから、同じシーンをアングルを変えて何度も撮って時間もかかりました。

 

松村 撮影所があった中河原(東京都府中市)には始発で行って、終電で帰る毎日。帰れないときは、そのまま衣装部屋で寝てました。

 

伊藤 帰りのタクシー代なんて出ないしね(笑)。

 

松村 年末年始のほか月1、2日撮休があったけど、それ以外はほとんど撮影所かロケ。昼休憩も45分しかなくて、食事の時間なんて20分くらい。早食いの癖はいまだに抜けません。

 

伊藤 私なんて撮影所のときはメイクも衣装もそのままで、近くの「すかいらーく」に行ってた。店員さんも慣れてたのか、驚かなかった(笑)。

 

■放送開始直後は視聴率低迷で打ち切りの危機

 

――当時の大映ドラマの出演者は、常連メンバーも多かった。撮影以外での役者仲間とのエピソードはありますか?

 

伊藤 この前まで父親役だった人が次は校長先生役とか、恋人役だった人が敵役になったり。似たようなメンバーで役柄がコロコロ変わるのがおもしろかった。

 

松村 今みたいにプライベート写真をSNSに上げる時代ではなかったですし、時間があれば寝たかった。現場で一緒にいる時間が長いから、もう本当の家族のようでした。

 

――2人が共演してきたドラマの中でもとくに人気が高く、いまだに多くのファンがいるのが、やはり『スクール・ウォーズ』だと思います。

 

伊藤 スポ根ものは大映ドラマでは初めてだったんじゃないかな。でも、放送開始直後は視聴率が一桁台(初回視聴率は6.9%)で打ち切りになるかもって話もあった。たしか、途中でイソップが亡くなったりして、だんだんと視聴率が上がっていったはず。

 

松村 初めは廊下をバイクで走るなど、荒れた学校の姿がドラマの中心でした。実話をもとにしているから、局にはモデルの学校から「そこまで酷くない。荒れた場面ばかり放送しないでほしい!」とクレームがきたそうです。でも、不良が更生してラグビー部が日本一になる流れに変わり、視聴率も上がって関係者も納得してくれたみたいです。

 

伊藤 私自身は、大映ドラマのなかで出番も少なくいちばん楽だった。でも、男性陣は大変だったと思う。それと大映ドラマ“あるある”だけど、新しい台本をもらうたびに「こんなことに!?」って衝撃の展開を楽しんでいました。

 

松村 『スクール・ウォーズ』も脚本家が2人いて、お互い「俺はもっと」と競い合うから、どんどん話がエスカレートしていった。

 

伊藤 反響は相当気にしていたんじゃないかな。

 

松村 ラグビージャージがいい例。ラストシーンをいちばん最初に撮ったとき、ジャージは赤だったのに途中で脚本家が青に変えちゃった。それで仕方なくクリーニング店の火事でジャージが燃えたことにして、赤に戻した。今だから言えるけど、苦肉の策だった(笑)。

 

――ところで、当時はアイドル全盛時代で歌番組も人気でした。お2人はそうした方面への憧れはなかったのですか?

 

松村 僕は1980年に役者デビューして、翌年にはレコードも出しました。同期は近藤真彦さんや沖田浩之さん、ひかる一平さん。当時は、猫も杓子もレコードを出して “運動会や水泳大会” に出るのが習わし。本人がやりたいかどうかは別にしてね(苦笑)。

 

伊藤 私も歌を出して、アイドルっぽいことをしていた時期も。同期は早見優ちゃんと堀ちえみちゃん、あと小泉今日子さん、中森明菜さん。歌は好きじゃなかったけど、デパートの屋上でのイベントに多くの方が集まってくれて、主催者の方に「こんなにお客さんが集まったのは中森明菜さん以来です」なんて言われたことも。レコードはたいして売れなかったですけどね(苦笑)。

 

――お2人にとって、あらためて大映ドラマとはどんなものだったのでしょうか。

 

松村 役者としては、大映ドラマがなかったら今の僕はなかったと思う。厳しさを含め、いろいろなことを教えてもらいました。

 

伊藤 私は大映ドラマがなかったら、こんなに長いこと芸能界にいられなかったと思います。今30年ぶりに舞台をやっているのですが、そのプロデューサーもちょうど大映ドラマを観て育った世代で、私をキャスティングしたと言っていました。感謝しかないですね。

 


まつむらゆうき
1963年11月7日生まれ 東京都出身 1980年代半ば、『スクール・ウォーズ』ほか大映ドラマに立て続けに出演し、強烈なインパクトを残した。1993年からは舞台出演を重ね、現在はシャンソン歌手としても活動。昨年はドラマ『不適切にもほどがある!』(第6話・TBS系)に本人役で出演し話題に

 

いとうかずえ 
1966年12月7日生まれ 神奈川県横浜市出身 1978年デビュー。1984年放送の『不良少女とよばれて』で演じた影の番長・長沢真琴役で人気を博し、大映ドラマの常連に。その後も『ナースのお仕事』(フジテレビ系)をはじめ数々の人気作品に出演。2022年に開設したYouTubeチャンネル『やっちゃえ伊藤かずえ』も人気

 

写真・福田ヨシツグ
取材&文・栗原正夫

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