
菅谷大介アナウンサー
あまりにも、突然の訃報だった。日本テレビの菅谷大介アナウンサーが11月8日午後1時6分、消化管からの出血のため死去したことが、日本テレビから発表された。53歳だった。
「菅谷さんは2022年1月に、すい臓がんに罹ったことを公表。同年4月に腹腔鏡手術を受けました。
菅谷さんはよく、『私がアナウンサーになったのは、このがんを(みなさんに)伝えるためだったのかなと思っています。適切な処置をしてもらえれば社会復帰して頑張れる。『菅谷は、こうして闘ったんだ』と、同じ経験している方の参考になるのではと思い、公表しました』と語っていました。
関係者によると、亡くなる前日の夜に局内での業務を終えて帰宅。その後、不調を訴えて都内の病院に救急搬送されたということです」(芸能記者)
11月2日には、国内男子ゴルフツアー「フォーティネットプレーヤーズカップ」最終日の実況中継も担当していたのだが……。
「局内でも衝撃を持って受け止められ、とりわけアナウンサーのみなさんの悲しみは言葉になりません。
10日に放送された『news every.』では、森圭介アナがあふれる涙が落ちないようにしながら『後輩の私が言うのも何ですが、本当に真面目な方でした。真面目で優しくてチャーミングな菅谷さんの声が聞けないのは本当に寂しいです』と語り、11日には『Oha!4 NEWS LIVE』に出演した安村直樹アナが、菅谷アナの思い出VTRが放映された直後のニュースで、嗚咽を我慢しながら震える声で原稿を読んでいました。
また11日の『ZIP!』に出演した水卜麻美アナも『私がめちゃくちゃやっても“いいよいいよ。面白いからそのままでいいよ”ってずっと言ってくれていた先輩でした。ごめんなさい、絶対泣かないと思っていたのに』と涙を拭っていました」(前出・芸能記者)
そうしたなか、菅谷アナの人柄を偲ばせる文章として、日本テレビの公式サイトにある「アナウンスルーム」のなかの菅谷アナのリレーエッセイに注目が集まっている。
2025年7月6日に書かれたエッセイで、《1997年4月に入社して29年目。》という書き出しで始まっている。
そして菅谷アナはそのなかで、《最初のレギュラー番組は、97年7月から担当した「スーパーJOCKEY」です。今、この名前を言うと、競馬番組ですか?と聞かれることもあるのですが、日曜午後1時から放送されていたバラエティ番組。「熱湯コマーシャル」でも有名な番組で、私は、そのコーナーで「熱湯クエスチョン」という、ゲストが答えづらい質問をする声を担当していました》と、報道志望で入社した1年目を振り返り、《熱湯風呂に年6回も入ることになり、熱湯クエスチョンのCDをだすことになり、と、様々な仕事につながっていきました》と綴っている。
そしてエッセイの最後を《アナウンサー30年まであと少し。その時には、どんな仕事をしているのか、ひとつひとつの仕事を大事にしながら、その時を迎えたいと思います》と結んでいたのだった。
このエッセイを遺した菅谷アナに対して、X上には
《30年目迎えてほしかった》
《アナウンサー30年まであと少し。」なんて言葉を遺して……無念だったろうな…》
など哀悼のコメントが寄せられていた。
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