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つんく♂ 声を失う前の“貴重映像”にファンから寄せられる感涙『紅白』初出場から30年、シャ乱Qの軌跡

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記事投稿日:2025.11.19 18:27 最終更新日:2025.11.19 20:56
出典元: SmartFLASH
著者: 『FLASH』編集部
つんく♂ 声を失う前の“貴重映像”にファンから寄せられる感涙『紅白』初出場から30年、シャ乱Qの軌跡

 

 

 11月18日、NHKで放送された歌番組『うたコン』で、音楽家・つんく♂の肉声が流れたことが話題となっている。

 

「つんく♂さんは2014年10月、咽頭がんのために声帯を摘出したことを、翌2015年4月に公表しました。ファンは、彼の声を聴いてこみ上げるものがあったようです」(芸能記者)

 

 Xでは、不意に聞こえてきた彼の声に、

 

《つんくの声が久しぶりに聞けた》

 

《つんくの声だ……》

 

《うたコンつんくが喋ってる(泣)》

 

 といったコメントが寄せられた。この日の『うたコン』は“プレイパック紅白SP”。きたる『第76回NHK紅白歌合戦』に向け、過去の名シーンがプレイバックされたのだ。

 

「つんく♂さんがボーカルを務めるシャ乱Qは、1995年の第46回で『紅白』に初出場しました。その際、つんく♂さんは、紅組司会の上沼恵美子さんと軽妙な会話を繰り広げていました。上沼さんがつんく♂さんと隣り合わせで、『私たち、よう似てるって言われるんですよ』と切り出し、『じつは私、(つんく♂の)姉ですねん』とボケると、つんく♂さんが『いや姉て! ド厚かましいな! あんたはオカンじゃないですか』とツッコミを入れ、上沼さんが『誰がオカンやねん! どんな年やねん』と返していました」(同前)

 

 まるで漫才のようなやり取りをしていた20年後、声を失ったつんく♂。その道のりは波乱万丈だった。芸能プロ関係者が語る。

 

「シャ乱Qは1992年にメジャーデビューしたものの、長らく低迷が続きました。1994年、『これが売れなければ最後』と意気込んだ『上・京・物・語』がスマッシュヒットし、さらに同年の『シングルベッド』がミリオンセールスを記録しました」

 

 そして1995年、『紅白』初出場の切符を決めた曲がヒットする。

 

「ミリオン作『ズルい女』です。ところが1998年、元ベースのメンバーが未成年女性への暴行を起こし書類送検され、2000年には活動を無期限休止にしています。これはアルバム制作中に音楽の方向性に違いが生じたためと言われています」(同前)

 

 2013年、結成25周年を迎えたグループは本格的な再始動を発表する。だが、つんく♂が喉頭がんを患ったことを公表したのはその翌年だった。

 

「つんく♂さんは活動休止前から手がけていたモーニング娘。のプロデュース業にまい進し、『LOVEマシーン』『ハッピーサマーウェディング』『ザ☆ピース!』などの名曲を世に送り出してきましたが、シャ乱Qとしての活動は止まったままです」

 

 自ら歌う代わりに、別の誰かを輝かせる道を選んだ、つんく♂。その功績ははかり知れない。

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