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羽生善治九段、前人未到の1600勝を達成…“原点”将棋クラブの恩師が語った「よちよちの将棋」のころ

芸能 記事投稿日:2025.11.27 19:30 最終更新日:2025.11.27 19:32

羽生善治九段、前人未到の1600勝を達成…“原点”将棋クラブの恩師が語った「よちよちの将棋」のころ

羽生善治九段

 

 11月26日、将棋羽生善治九段が東京都渋谷区の将棋会館で指された第19回朝日杯将棋オープン戦二次予選で本田奎六段に続き千田翔太八段を下して2連勝し、前人未到の1600勝を達成した。

 

 羽生九段はこの勝利で通算1600勝731敗。歴代2位は大山康晴十五世名人の1433勝781敗とダントツの勝ち星を誇っている。

 

 6歳で将棋を始めた羽生は、小学2年生のときに将棋の名門道場だった「八王子将棋クラブ」に入って腕を磨き、1985年に史上3人目の中学生棋士となった。1996年に史上初の七冠(竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖)を独占。2017年には史上初の永世七冠を達成し、2018年には将棋界初の国民栄誉賞を受賞するなど将棋界の“レジェンド”として知られる。現在の通算タイトル獲得数は99期で、歴代1位。

 

 本誌は2018年11月8日、羽生の恩師で「八王子将棋クラブ」の八木下征男席主(当時)を取材し、羽生の原点を聞いていた。

 

 同クラブは羽生が小学2年生から「奨励会」に入会する小学6年生まで通っていた道場だ。1977年3月15日に八木下氏が開所したが、2018年12月24日に閉所し、41年の歴史に幕を下ろした。そして、残念なことに八木下氏は2024年11月26日、81年の人生の幕を閉じた。

 

 八木下氏は、閉所するまで羽生のほかに、阿久津主税八段、中村太地八段、増田康宏八段ら多くの棋士を育てた。

 

 当時、八木下氏が語っていた羽生についての内容を振り返る。羽生が同クラブの門をたたいたのは、1978年8月、当時7歳の小学2年生のときだった。

 

「8月にクラブで子どもの将棋大会を企画したんですね。地域のコミュニティ誌に予告を載せたら、それを読んだ羽生さんのお母さんが、子どもの将棋大会に行ってみるかということで、連れてきたのが、最初でした。小2の夏休みですね。はじめは地元の子どもたちがいっぱい来てくれたら賑やかでいいなあと思っていたら、思いもかけない大物が引っかかってきた(笑)。

 

 羽生少年は初めに来たころは、駒の動かし方を覚えた程度で、よちよちの将棋でしたね。最初の大会では1勝2敗。小学生の大会だったのに、間違えて中学生も来ちゃって、羽生さんの1勝は中学生からのものでしたね。そのあと、うちに来はじめたのは10月ころ。それから毎週土曜日に来るようになったんです。

 

 羽生さんの家はここからバスで30分、40分かかる山の方でした。当時は羽生さんの家のほうにはスーパーとかなかったので、ここの街中にきて、お母さんが買い物する間に羽生さんをうちに1時間くらい預けて、というパターンでしたね」(八木下氏、以下同)

 

 当時、道場では最下級が7級だったが、7級だと自分よりもはるかに強い人と対戦し、負けてばかりで嫌になり、子どもたちが来なくなったため、八木下氏は独自に一番低い級を15級に設定した。そのため、7級の下は15級しかおらず、ほぼ初心者の子どもたちは皆15級だったという。

 

「羽生さんは来るたびに級を上げてやっていたように思います。だから、本人もすごく喜んでやる気になっていたようです。ほぼ毎週のように級が上がり、2、3カ月で15級から7級に上がったように思います。6級くらいになった時は、かなり強くなっていました。

 

 この近辺の子で毎日のように来る子もいました。そういう子は年中将棋に触れる機会があるので、結構強くなるのですが、羽生さんの場合はここに来るのは、1週間に1回だけ。普通は自宅では将棋の勉強はしないものですが、羽生さんは自宅で将棋の勉強をしていた。だから、週に1回しか来ないのに、それで強くなるのは凄いなと思っていましたね。

 

 6級のときに私が飛車角落ちで羽生さんと対局して、負けましたからね。『ああ、この子は才能あるなあ』と思いました。私はアマ四段ですが。1978年10月から来て、半年後の1979年3月に6級に上がっていますね。特に筋のいい6級でしたよ。定石どおりにちゃんとやりましたからね。他にも強い子はいましたけど、当時はそんなに強い子は羽生さんしか見なかったですね。

 

 6級になった時に『この子は将来絶対にプロになれるな』と思いましたね。さすがにタイトル通算100期に王手をかけるなんて、そこまでは思いもしませんでしたが、名人にはなるかもしれないなとは思いました。当時はこういう素晴らしい子は見たことがなかったですから」

 

 1982年に奨励会に入会したため、同クラブに通うことはなくなった羽生だが、奨励会入会後も八木下氏との交流は続いた。

 

「奨励会に入ったあとも、たまに顔を出していました。プロの四段になってからは毎年、羽生さんのほうから年に1回、ここに来られて子どもも大人も指導対局をされています。

 

 羽生さんには去年(2017年)の5月ごろに『来年(2018年)で閉めるかもしれない』という話はしましたね。具体的に閉めると決めたのは今年(2018年)の5月です。そのときに羽生さんにも話しました。羽生さんからは『教室みたいなことをやったらどうですか』と言われたんですが、私はやり始めるととことんやっちゃうほうだから。体力的にも責任持てないし、言葉を濁したんですが…。また聞きですが、羽生さんは『八木下さんの意思を尊重する』と言っていたようです」

 

 羽生の“原点”でもある「八王子将棋クラブ」閉所の際に、道場を訪れた羽生は「八王子将棋クラブに通い、八木下さんと出会っていなければ、棋士には間違いなくなっていなかったと思います」と話していたという。

 

 羽生九段の1600勝に“恩師”八木下氏も天国から拍手を送っていることだろう。

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出典元: SmartFLASH

著者: 『FLASH』編集部

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