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MAX・NANAが明かした「沖縄アクターズスクール」下積み時代…生徒の集合写真に手を合わせてから仕事へ

芸能 記事投稿日:2025.12.01 11:00 最終更新日:2025.12.01 13:50

MAX・NANAが明かした「沖縄アクターズスクール」下積み時代…生徒の集合写真に手を合わせてから仕事へ

MAX・NANA

 

 11月28日放送の『ぽかぽか』(フジテレビ)にタレント養成学校・沖縄アクターズスクール出身のMAXNANAさん、REINAさん、歌手で女優の知念里奈さんがゲスト出演。沖縄アクターズスクール時代におこなわれていたレッスン内容を明かしていました。

 

 当時、校長先生の話を1時間立ったまま聞き続けていたというNANAさんは、「校長、このとき『絶対に沖縄アクターズスクールから第1号のスターを出す』ってことで、すごい厳しいときだったんです」と明かしました。

 

 さらに校長は過去の先輩たちが上京したときの失敗例を話し始め、「『こうなって沖縄に帰って来たんだよ。この人は』って言うのを聞いて『それをやらないように』というのを全部教えてもらって」と当時を振り返っていました。

 

 筆者は以前、NANAさんに、沖縄から上京したばかりの頃のお話をお聞きしています。

 

 1992年に、沖縄アクターズスクールからNANAさんやREINAさんらが、選抜されて結成されたのが「SUPER MONKEY’S」。同年に上京し「SUPER MONKEY’S」のメンバーたちと東京のマンションで共同生活が始まります。

 

「事務所からの厳しい制限があって、門限も(午後)5時とか6時で。出かけるのもみんな一緒で、行くのは図書館だったりとかで、当時は遊びにも行ったことなかったです」

 

 金銭面でも厳しいものがありました。

 

「事務所が出してくれる食費はいくらまでって決まってて。1週間に1回みんなでスーパーに買い出しに行って『じゃあ、全員でこの食パンを2枚ずつ。お菓子はこれくらい』って分けるんです。パンがなくなったらサラダにしたり、ほかのものを食べたりしていました」

 

 共同生活していた家の玄関には、沖縄アクターズスクールの生徒のみなさんが写った集合写真が飾られていました。

 

「当時、沖縄アクターズスクールから成功者がいなかったので、校長先生が『もう自分たちだけの夢じゃなく、アクターズスクール全員の夢が、あなたたちにかかっている。その子たちのことも背負っているっていう認識のなかでお仕事を頑張りなさい』って言われてたんです。

 

 だから、いつも写真の前で『行ってきます』って手を合わせてからお仕事に向かってました。『代表として頑張ってきます』みたいなことです。

 

 沖縄に帰ったとき、アクターズスクールで、生徒さんに『こういったお仕事をしました』という報告会もあって。自分が、たとえばレコーディングのときに悔しくて泣いてしまったら報告しないといけなくて。『これからは泣かずにちゃんとやります』とか」

 

 その後、1995年に『MAX』としてデビューしますが、最初のころは苦労されたそうです。

 

「それまでも『SUPER MONKEY’S』で活動してたので、1枚目のときは売れなくても不安はなかったんですけど。2枚目になっても結果が出なかったときに、事務所から『次の3枚目が売れなかったら終わり』って言われて。それで3枚目の『TORA TORA TORA』がヒットして……これが売れてなかったら、MAXはなかったと思います」

 

 その後の1997年に発売された6thシングル『Give me a Shake』が、オリコンシングルチャート初登場1位を獲得し、同年の『第48回NHK紅白歌合戦』に初出場。そこから『MAX』は5年連続で出場します。

 

 校長の『絶対に沖縄アクターズスクールから第1号のスターを出す』という強い思いと、『MAX』のメンバーが、校長の教えを忠実に守ったからこそ夢が叶ったのかもしれませんね。

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出典元: SmartFLASH

著者: インタビューマン山下

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