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中村雅俊、映画版『俺たちの旅』で初メガホン…こだわったのは「赤」、反省点は「自分の演技が甘くなる(笑)」

芸能 記事投稿日:2025.12.17 06:00 最終更新日:2025.12.17 06:00

中村雅俊、映画版『俺たちの旅』で初メガホン…こだわったのは「赤」、反省点は「自分の演技が甘くなる(笑)」

中村雅俊(写真・福田ヨシツグ)

 

 1975年10月に青春テレビドラマとしてスタートした『俺たちの旅』(日本テレビ系)。当初は半年間の放送予定だったが、反響の大きさから1年間に延長。主演の中村雅俊が歌う主題歌「俺たちの旅」も大ヒットした。

 

 その後、1985年に『俺たちの旅~十年目の再会~』、1995年に『俺たちの旅~二十年目の選択~』、2003年に『俺たちの旅~三十年目の運命~』と、10年ごとにスペシャルドラマが放送されたが、40年を前に斎藤光正監督が逝去。シリーズは途絶えていた。

 

 そうしたなか、50年の節目の今年、初の映画となる『五十年目の俺たちの旅』が制作され、2026年1月9日から全国公開される。主演・監督を担ったのは、中村。初監督作は試行錯誤の連続だったという。

「これまで多くの作品に出演して、監督業はわかっていたつもりですが、こんなに大変だとは思わなかったですね。

 

 たとえば現場で『監督、これどう(撮影)しますか』と聞かれますよね。アップで撮るとか、引き(広い画角)で撮るとかいろいろありますけど、監督はそれを決めなくてはならない。

 

 そして、撮影した映像は数学みたいに “1+1=2” にはならない。時として5になることもありますけど、いずれにしてもその映像を監督自身が “正解” としなければいけないんです」

 

 まるで禅問答のような作業だが、ポスターに写るカースケ(中村)、オメダ(田中健)、グズ六(秋野太作)の3人の衣装には赤の差し色が入っている。この色には、中村のこだわりがあった。

 

「エンディングを象徴的にしたかったので、赤(色)を入れました。ドラマの第1話のラストシーンで、3人が坂道に寝そべるシーンがあるんです。映画でそれを再現しようと決めていたので、『ここに色があったらいいかな』と思って。

 

『なんとなく』の感覚的なものですから、『どういう意味があるんですか?』と聞かれても、もっともらしい答えはないんです(笑)」

 

 自分で決めることが多かった大変さも、中村は「後々、快感に変わりました」と笑う。そして「初めての監督なので反省はいろいろありました」と振り返る。そのひとつが「自分の演技への採点が甘かった」ことだという。

 

「自分の(出番の)ときは、まずは代役が演技をして、それをモニターで見ながらテストを繰り返し、次にそれにあわせて俺が演じるんです。

 

 できあがりをモニターで見て、(自分で自分の演技に)OKを出すんですけど、その採点が甘いんですよ。自分の芝居に甘い。つい『OK!』と言ってしまうんですが、編集段階で何回も見直して『あ〜』となっちゃう。

 

 言い訳ではないですが、監督と主演(の兼務)は、たっぷり時間があったらいいんでしょうね。(監督として)撮影のリズムや時間(の制約)を考えるから、どうしても自分の芝居に甘くなり、すぐにOKを出してしまって」

 シリーズすべての脚本を担当した鎌田敏夫氏とは、どのような話し合いをしたのだろう。

 

「50年前のドラマに出演した俳優では、ワカメ役の森川正太さん、グズ六の上司役の穂積隆信さんなどが亡くなっています。

 

 鎌田さんも脚本を書くときは『役者が揃ってストーリーを作っていく』わけですから、(穂積さん・森川さんが亡くなり)フィーチャリング(関わり合い)ができなくて大変だったと思います」

 

 そして中村は『今回の映画制作には、鎌田さんの強い意志があった』と打ち明ける。

「鎌田さんは『俺たちの旅』が大好きで、鎌田さん自身も『俺たちの旅』を完結させたかったのだと思います。

 

 斎藤監督が亡くなり、“40年後” が制作できなかったということもあったのかもしれません。ほかの仕事より優先してくれました。『遅筆』で知られる鎌田さんですが(笑)」

 さて、50年後の「俺たち」は、どんな「旅」をしているのだろうか。

 

「『青春だ!』とやっていたころの元気はありません。動きにキレもありません。それはそうです。70歳をとっくに過ぎた3人ですから。年齢に応じた演技は否めませんが、『俺たちの旅』のテーマである『生きてることって、切ないよね』は表現できていると思います」

 

 今作で描かれる50年後の「俺たち」は、カースケが町工場の社長、オメダが鳥取県米子市の市長、グズ六が介護施設の理事長と、3人はそれぞれの “型” に収まっている。

「ある日、オメダがカースケに『人生最後になって本当にやりたいことって何か、考えたことあるか?』と聞いてくるんですよ。そこから波乱が起きて、アウトサイダーだった50年前の俺たちの『何か』が再び芽を出してくるんです。

 

 映画には50年前のドラマの回想シーンもたくさん登場し、しっかりお見せしています。昔を思い出すことも、『俺たちの旅』にはあってもいいんじゃないかと思いまして」

 

 中村は、完成後の鎌田氏の感想は聞いていないという。

「怖くて聞けないです(笑)。試写のときに鎌田さんの息子さんから、『(父は)なかなかいいリアクションでした』と聞かされてはいますが、この映画は鎌田さんに作っているのではなく、観てくださるお客さんのために作ったものですから」

 

 中村は、監督の顔になってこう続けた。

 

「お客さんの反応は、今からめちゃくちゃ気になって緊張しています。役者のときには全然なかった思いですね。審判を受ける感じです。監督として『ここを見てほしい』という部分ですか? すべて頑張って撮って表現しているので、『ここ』は言いづらいですね。極端に言えば『全部です』という気持ちです。

 

 前半は『俺たちの旅』らしくない展開ですが、後半になればなるほど、『俺たちの旅』らしさが出てきます」

 9月には「The 50th Anniversary 俺たちの旅 スペシャルコンサート」が東京、大阪、福岡、宮城で開催されるが、全日程でチケットは完売。2026年1月13日に大阪、22日に東京で追加公演がおこなわれるが、こちらもチケットは完売しているという。

 

 変わらない人気の秘密を中村は「みなさん、自分の昔に再会するような気持ちになれるのではないでしょうか」と笑った。

 カースケ、オメダ、グズ六……3人の「旅」は終わらない。

 

写真・福田ヨシツグ
ヘアメイク・鈴木佐知
スタイリスト・奥田ひろ子

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出典元: SmartFLASH

著者: 『FLASH』編集部

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