木村拓哉
12月14日、木村拓哉が自身のInstagramのストーリーを更新。8日に76歳で亡くなっていたことが分かった映画監督・原田眞人さんを追悼し、黒い画面に白い文字で「原田監督の御冥福をお祈りします」と投稿した。
「原田監督が自ら脚本も担当した2018年の映画『検察側の罪人』で、木村さんは主演しています。木村さんと二宮和也さんの初共演作でもあります。原田監督は2018年8月の日刊ゲンダイのインタビューで、《現場で木村さんは、いろいろなアイデアを出してくれた。それは決してスターのエゴではなく、純粋に作品をよりよくしたいという思いによるもの。一度も怒鳴らなかったし、彼の助言や提案はほとんど採用しました》と木村さんへの信頼感を語っていました。木村さんも原田さんについて2018年8月6日のインタビューで《初めて現場に来た人にとっては、尋常じゃない存在》《スーツを着て、ネクタイを締め、第一ボタンをとめる。髪型も整えて、言葉遣いも良く、とてもジェントルなんですが、パンクというイメージです》と原田監督を評していました」(芸能記者)
原田監督は元々は映画評論家だった。1972年、イギリスのロンドンに語学留学中に『キネマ旬報』で評論家デビュー。その後、アメリカのロサンゼルスで映画監督修行を積み、1979年に一時帰国して『さらば映画の友よ インディアンサマー』で監督デビュー。その後は劇場作品だけでなく、ドラマやオリジナルビデオも数多く監督した。2003年には役者として『ラスト サムライ』でハリウッドデビューも果たしている。
洋画の日本語吹き替え版の翻訳監修も手掛け、『スター・ウォーズ』シリーズや『フルメタル・ジャケット』、『時計じかけのオレンジ』のビデオ用字幕の新訳なども担当した。ブルーリボン賞や日本アカデミー賞も受賞するなど、日本映画界の重鎮だった。
原田監督は木村の差し入れエピソードにも触れ、《とにかく木村さんは群を抜いてきめこまやかな気遣いができる人。トム・クルーズに匹敵するんじゃないかな》と絶賛しており、その後もタッグを組むことを希望していたという。X上では木村と原田監督の関係性に言及したポストがあふれた。
《木村さんとの次回作を期待していたので残念です。謹んでお悔やみ申し上げます》
《原田眞人監督のジャニーズ起用はネームバリューだけじゃなくてちゃんと新しい魅力を引き出してたよな。木村くんもニノも山田涼介も》
《木村さんに映画出演権?だったっけかな、お誕生日プレゼントして下さってたから もう一度木村さんの原田監督作品観たかったなぁ》
原田監督は9月下旬に体調を崩し、一度は退院したものの再入院。死因は多臓器不全だった。
「役所さんや大泉洋さん、山田涼介さん、原田組のスタッフなどがお見舞いに行っていたそうですが、予想以上に早く病状が進んだようです。新作の準備も進めていたとのことで、本人は最後まで制作に意欲的だったのでしょう」(前出・記者)
復帰作が木村主演だったら、大きな話題になっていたはずだ。日本映画界は、大きな宝をまた失ってしまった。
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