
坂本冬美
「今年は着物ではなく、洋服でお願いします!」
NHKのスタッフから、驚天動地のお達しがわたしの元に届いたのは、原辰徳監督率いる野球の日本代表が、第2回ワールド・ベースボール・クラシックで、2大会連続の優勝を飾った2009年の11月も半ばが過ぎたころでした。
21回めの出場となったこの年、『紅白』のステージでわたしが歌わせていただくことが決まっていたのは、「いいちこ」さんのコマーシャルソングとして、ビリー・バンバンさんの歌をカバーさせていただいた『また君に恋してる』。
そうです、まさかのジーンズ姿でCDジャケットに収まった、後に『夜桜お七』と並び私の代表曲となった宝物のような一曲です。
今、冷静に振り返ると『また君に恋してる』をいつもと同じように髪を結い上げ、着物姿で歌わせていただく……というのは、へんとまでは言いませんが違和感があります。
かといって、ジーンズで『紅白』のステージに立つというのは、抵抗があるどころの騒ぎではなく、絶対に無理です、あり得ません。
ーーどうしよう? どうしたらいい!?
スタイリストさんと緊急会議を開き、あちこちお店を駆けまわり、これだ! と快哉(かいさい)を叫んだのが、ラルフローレンの白のパンツと、上は羊の毛のモコモコの服です(笑)。
人一倍!? いやいや、人の2倍は汗っかきのわたしが、なぜあんなモコモコを選んでしまったのか!? 後悔したのは、本番のステージに立った後のことですから、これはもう仕方がありません。
それよりなにより、脂汗が出るほどキツかったのが、18cmはあろうかというピンヒールです。
履いた瞬間から脚の筋肉がこわばり、まっすぐに立つことが難しい。いや、正確にいうと、本人はまっすぐに立っているつもりですが、膝は曲がり、下半身がガクガクと震えています。
「ゆっくりですよ、ゆっくり」
スタッフの声に合わせて、まずはそろりと右足を半歩前へ。続けて、そ〜〜〜〜っと、左足を半歩前へ……。
「そうそう。その感じです」
励まされながら、なんとか楽屋を出て長い通路を歩き、エレベーターに乗ってほっとひと息。エレベーターを降りてから、また通路をよたよたしながら歩いて……ステージ袖に着いたときには、疲れ果てて、もう何がなんだかわからない状態です(苦笑)。
歩くのにあそこまで苦労したのは、後にも先にもこの年の『紅白』一回だけです。
なんとか無事に歌い終え、気持ち的にはビュンと飛ぶように、でも実際はよろよろしながら楽屋に辿り着き、羊のモコモコとピンヒールをほぼ同時に脱ぎ、倒れ込むようにして椅子に座り、大量の汗を拭きながら、酷使したふくらはぎを揉みほぐして「ふぅ、やれやれ」です(苦笑)。
このシーンを漫画にして、吹き出しをつけるとしたら、「ぐわぁぁ〜〜〜〜っ、疲れたぁぁぁぁぁ〜〜〜〜っ!!」という感じです(笑)。
衣装も準備に入る時間も、歌う前のルーティンも、何から何まで違い、戸惑いだらけのこの年の『紅白』で、ひとつだけおもしろいなぁと思ったのは、18cmのピンヒールを履いて立ったステージから見える景色は、いつもの高さ2、3cmの草履を履いたときの景色とは、微妙に違って見えたことです。
あの景色を見ることができるなら、もう一度だけ18cmのピンヒールを履くのも悪くはないかも……という考えは1mmもないので、あの景色は思い出としてわたしの中に取っておきます。
さかもとふゆみ
1967 年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、最新シングル『浪花魂』が好評発売中!
写真・中村 功、産経新聞
取材&文・工藤 晋
![Smart FLASH[光文社週刊誌]](https://smart-flash.jp/wp-content/themes/original/img/common/logo.png)







