
久米宏さん
テレビ界のレジェンドが、1月1日、亡くなった。『ニュースステーション』(テレビ朝日系)などで知られる久米宏さんだ。
同番組の立ち上げからスポーツキャスターを務めた朝岡聡は、自身を「久米学校の生徒の一人」と表わす。
「久米さんを指導者として見ると、懇切丁寧に教えるタイプじゃないです。むしろ淡泊ですよ。でも、相談すればちゃんと答えてくれたんです」
そんな師との出会いは、朝岡の学生時代にまでさかのぼる。朝岡は当時、ラジオのいちリスナーだった。
「やっぱり、久米さんの原点はラジオなんです。『永六輔の土曜ワイドラジオTOKYO』(TBSラジオ)という番組に、TBSの若手アナだった久米さんが中継リポーターとして参加してたんです。その番組で、『今、この土曜ワイドラジオTOKYOを聞いてる方、今すぐベランダに出てきて手を振ってください!』って、団地の前でやってたんですよ。『こんな人がいるんだ』と思ったら、局アナだった(笑)。それが私の久米さんの最初の印象でした」
久米さんと朝岡は15歳違い。その後、朝岡の高校時代に『ぴったしカン・カン』と『料理天国』、『ザ・ベストテン』(すべてTBS系)が始まる。
「出演者が決まりきった原稿ではなく、ゲストからいかに話を引き出すか。テレビの中で現在進行形で変化していく様子を、視聴者に伝える番組で、“テレビは生だ!”という『ニュースステーション』の原点は『ザ・ベストテン』にあったと思います。
僕は『ニュースステーション』でスポーツコーナーを担当していましたが、野球の速報などは番組の最初の方で扱っていました。でも、自分の出番が終わった後もあくまで一視聴者としてその日の番組を他のスタッフと共に最後まで興味津々で見ていましたからね。それくらい抜群に面白かったです」
一方、テレビという特性から、久米さんにはこんなこだわりもあったという。
「久米さん曰く、『テレビっていうのは、極論、何を喋ってるかよりも、ネクタイの色とか柄が大切なんだ』と。映ったことを視聴者が判断するのが、テレビという媒体の特性だというんです。
それで久米さんは表情やおしゃれを計算する部分があったと思います。そんな久米さんに学んで、僕もしゃべる現場と内容に合わせてネクタイの色を考えてみたり、身に着けるものにはすごく意識するようになったんですよ」
朝岡が番組を卒業しても、「久米学校」は終わっていなかった。『ニュースステーション』を2年で卒業すると、『ニュースシャトル』に移った朝岡だったが……。
「サブキャスターという立ち位置で『自分がもっと喋れたらいいのに』と、当時は僕も若かったので思ってしまった。そんなときに久米さんと局内で会ったら、『朝岡くん、君さ、本番中にもっと自分が出たいとか、喋りたいとか思ってない?』と言われたんです。僕は正直に『いや……そうなんですよね』と答えると、久米さんは『それがね、君、表情に出てる』と(笑)。そして、『君はサブキャスターだから、メインキャスターが評価された時に、君が評価されてるってことなんだよ』と言ってくれたんです。それは、僕の喋り手人生の中ではとても大事な宝物になっています」
朝岡さんは久米さんを「生放送の天才」と評する。
「『ニュースステーション』が始まるときに、『僕は殺されるかもしれない』と覚悟してたといいますからね。ジャーナリスティックで、かつそれを言い切る覚悟がありました」
最近では、年賀状などのあいさつを交わしていたと朝岡は語る。「奥様と連名で、『もう70歳、自分が1番びっくりしてます』みたいなウィットに富んだ一言を添えられていました」という。
最後まで“久米節”は健在だった。
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