
古坂大魔王と、古坂正人さん(写真・保坂駱駝)
大河ドラマ『豊臣兄弟!』が話題の今、現代ニッポンにも“天下取り”さながらに活躍する「きょうだい」がいる。お笑い芸人で、ピコ太郎のプロデューサーである古坂大魔王の弟は、国士舘大学准教授の古坂正人さん。2人が初対談で明かしたファミリーヒストリー!
古坂大魔王 俺の上には3歳上の兄がいて、母の願いは「兄弟3人、公務員に」だった。
古坂正人 兄貴は186cm、その上の兄は187cmくらいあるから。小中のころもデカかったのに、家ではプロレスばかり。家が揺れる、タンスが割れる、襖は抜ける。僕はその光景を見ながら、「早く終わってください」と祈ってた(笑)。
大魔王 新日本プロレスの「赤いジャージを着た若手(セコンド)」が、スタン・ハンセンが暴れるのを止めに入っては返り討ちにされるとか、設定をガチガチに決めてね。首を鍛えるためにブリッジしたり、本気で受け身を練習したり。僕ら兄弟は学校の運動部にも負けなかったね。
正人 血の気が多いのは、やっぱお袋の影響かな。
大魔王 お袋は青森の今別という前が海、後ろが山の漁師町の出身。男たちに石を投げられて、血を流しながら追いかけ回すような強烈な人で、地元では“赤いクジラ”と呼ばれてたらしい。そんなマインドの人が青森市内の新興住宅地で、「お前たちは勉強して力をつけろ、まわりに一泡吹かせてやれ」と子供たちの尻を叩いた。結局、兄貴は銀行員、まっちゃん(正人さん)は大学准教授になった。俺は、芸人になることしか考えてなかったけどな。
正人 僕も最初は兄貴に憧れて、卒業生を送る会なんかで紙芝居風のコントをしたり。「ザンジバルペポパ」というオリジナルキャラクターを兄貴が考えてくれたんだよね。
大魔王 そのキャラの名前、40年ぶりに聞いたよ(笑)。
正人 でも、兄貴が上京して、僕一人になると何もできない。「自分は何が好きなんだろう」と悩んだとき、三内丸山遺跡で新発見があり、「これだ!」と。
大魔王 それまではテニスに夢中だったのに、部屋のポスターを伊達公子さんから土偶のものに貼り替えてたな(笑)。
正人 大学進学で僕も東京に出て、すでに芸人になっていた兄貴に会いに行くと、服をくれたり、爆笑問題さんの舞台を見せてくれたり。そんな華やかな世界と苦学生生活のギャップを噛み締めながら、“表現の天才”じゃない自分は、「学問」の世界でコツコツと積み上げていくしかない、と思っていた。
大魔王 ネタ番組がなくなって、俺も仕事が減った2000年代、早稲田の院にいたまっちゃんも、スーパーで週6バイトして、自分で学費払ってたもんな。
正人 そのころの積み重ねが、今の専門に繋がったよ。三内丸山遺跡が開発か保存かで揺れるのを見て、遺跡を守るために社会の仕組みを学ぼうと政治学を専攻したんだけど、制度より先に人の「心」があることに気づいた。そして「なぜ人が集まり、熱狂が生まれるのか」という政策ネットワーク論や情報学へと関心が移っていった。
大魔王 2016年の「ピコ太郎」のブレイクを、まっちゃんはリアルタイムで見ていたよね。
正人 『PPAP』のMVの撮影にも立ち会ってるからね。朝から晩まで、ずっとわけのわかんない映像を撮っていたから、「何の集団だろう」というスタジオのスタッフさんの目が忘れられない(笑)。でも兄貴は、「これは絶対すごいことになる」と確信していた。
大魔王 トランプ大統領に会ったり、アフリカの市場のおばちゃんから声をかけられたりするとは思わなかったけどね。
正人 当時、人間同士のネットワークを立体的な相関図で表わす研究をしていたんだけど、『PPAP』はその理論を超えていた。“バズ”は数理モデルでは説明されてきたけど、感情的な部分では研究されてこなかったから。でも、兄貴は、20年間の芸人生活を知っているくりぃむしちゅーの上田晋也さんや爆笑問題さんら、善意の感情のネットワークがコアにあったと思う。それが世界に散らばったとき、批判を撥ねのける保険にもなっていたんじゃないかな。
大魔王 ……みたいな感じで、月に1回はまっちゃんと会うんだけど、いつも何時間も、こんな真面目な話になるんだよね。これって、青森のじょっぱり(一本気)精神だよな(笑)。
こさかだいまおう
1992年デビュー。現在、ピコ太郎『PPAP』10周年を記念して、毎月新曲を配信し、1年間で80.8曲をリリースする前人未到のプロジェクトを進行中
こさかまさひと
国士舘大学卒。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。2021年から現職
取材/文・鈴木隆祐
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