
津田健次郎
※本記事には『ラムネモンキー』(フジテレビ系)最終話のネタバレが含まれています。
3月25日(水)22時から放送された最終話(第11話)で完結した反町隆史×大森南朋×津田健次郎のトリプル主演作『ラムネモンキー』。
筆者のごくごく個人的な感想から言わせていただくと、過不足のない最高のクライマックスとエンディングだったと思う。
アラフィフおっさん3人の青春劇が、とにかく泥臭く、ラストシーンの姿もなんだかかっこ悪かったのだが、けれど一生懸命な姿がめちゃくちゃかっこよかったからだ。
“かっこ悪いがかっこいい” は最高にかっこいい。
■1988年に失踪した美人教師の謎を追う物語
《1988青春回収ヒューマンコメディ》と謳われている本作は、主人公たちが中学生だった1988年の回想シーンを要所要所で挿し込みながら、現代のストーリーが進んでいく構成。
中学時代に映画研究部でつるんでカンフー映画を撮っていた吉井雄太(通称ユン/反町)、藤巻肇(通称チェン/大森)、菊原紀介(通称キンポー/津田)の3人は、いまや51歳。
地元の建設現場から人骨が発見されたことがきっかけで、3人は37年ぶりに再会。その遺体が映研の顧問だった美術教師・宮下未散(通称マチルダ/木竜麻生)のものだと判明し、彼女の死の真相を解明するために奔走する。
念のため改めてお伝えするが、ここからは最終話のネタバレをしていくので、未視聴の方はご注意を。
■【ネタバレあり】津田健次郎の驚きの告白
最終話は、なんと中盤と終盤2度のどんでん返しが起こるという、目が離せない展開となっていた。
中盤のどんでん返しは、津田が演じたキンポーが第1話からずっと隠していた秘密が明かされた。
第1話で、建設現場から白骨化した遺体が見つかったというニュースがあり、その後、主人公たちが発見現場を掘り起こしてみると、マチルダの持っていたものと同じボールペンが見つかったことから、この物語は動き出している。
けれど、その人骨とボールペンはキンポーが埋めたものだったのだ。
人骨は海外のサイトで購入し、ボールペンも同じものをネットで見つけて買い、それを建設現場で見つかるように埋めたという。それからなにくわぬ顔でユンやチェンを現場に連れていき、ボールペンを発見させる。3人でマチルダの失踪の理由を突き止めるため、自作自演したというのである。
そんなキンポーがこう語るのだ。
「5カ月のあいだ、君たちと冒険ができた」
この言葉が『ラムネモンキー』というドラマの “核” だったと思う。
冒険といっても、ジャングルの奥地の秘境に行ったわけではないし、世界を救うために魔王を倒したわけでもない。誤解を恐れずにいうなら、スペクタクルはない。彼らはただ、かつて地元に住んでいた人々を訪ね、マチルダについて聞いてまわっていただけ。
しかし、まぎれもなく彼らは冒険していた。
昭和生まれのおっさんたちが、令和のこの時代に必死になって真実を追い求めるなんてことは、そうそうないだろう。だから、『ラムネモンキー』は冒険譚なのだ。
そして、この冒険を思い立ち、2人を引き込んだのがキンポーだった。
本作はトリプル主演作だが、ホームページやポスターの写真で中央にいたのが反町だったように、3人のうち誰がメインなのかと聞かれれば、大半の視聴者が「反町隆史」と答えるだろう。
ただ、最終話のキンポーの告白をふまえると、この物語のメインは最初から最後まで「津田健次郎」だったんじゃないかと思えてくる。
■【ネタバレあり】ラストは現実か妄想か?
終盤のどんでん返しは、マチルダの死は偽装で、実は彼女は生きていると明かされたシーン。
認知症を患っていたキンポーの母が当時の秘密を明かしたのだが、キンポーの母はユンやチェンの親と協力して、密かにマチルダを救出して逃がしていたというのだ。
認知症の母の証言のため生存確定ではないが、3人はマチルダが生きていると信じることに。そして、未完だったカンフー映画を完成させるため、街を一望できる高台でラストのアクションシーンを撮影。
中学生だったキャストが最後だけ中年になるというのはどう考えてもおかしいし、彼らのカンフーアクションは動きがノロノロしているし、そもそもいい歳したおっさんたちがノリノリではしゃぐ姿は見ていて恥ずかしい。でも、それがかっこいい。
迎えたラスト15秒。
慣れないアクションですぐにバテてしまい座り込む3人の頭を叩く人物が現れる。その白髪の女性が「ハッ!」とカンフーポーズを決める後ろ姿で終幕――。
流れ的に白髪女性はどう考えてもマチルダなのだが、顔は映ってないのでわからない。さらにいうと、このドラマは毎回毎回、現実で起きた出来事とは異なる妄想シーンが挿入されてきたので、この15秒も彼らの空想だという可能性は捨てきれない。
現実なのか、妄想なのか、視聴者の解釈にゆだねられたわけだ。
しかし、そんなことはどっちでもいい。現実でも妄想でも最高のラストであることには変わりない。
白髪マチルダの顔を映さなかったことや、現実ではないかもしれないという描き方が、絶妙な “余白” となっているからだ。
生きていたマチルダがいまどんな顔になっているのか見たかったし、37年ぶりに再会した3人とどんな会話を交わすかも気になるところだったが、そこまで描いてしまったら過剰演出だった気がする。
視聴者が彼らの冒険の余韻に浸ることができる、過不足のないエンディングだった。
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