
ガッツ石松さん
元WBC世界ライト級王者のガッツ石松さんが、6月2日、肺炎のため都内の病院で亡くなった。76歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで執りおこなわれ、お別れの会の開催については未定だという。
栃木県鹿沼市(旧栗野町)出身のガッツさんは、実家について家財もなにもなく「掘っ立て小屋みたいな家だった」と語っていた。「家を建て直し、両親に腹いっぱい食べさせたい」との思いを胸に、中学卒業後に上京をはたす。
飲食店などで働きながら16歳でヨネクラボクシングジムの門を叩き、本格的にボクシングの道へ進む。じつは野球好きで知られるが、身一つで始められるという理由からボクシングを選んだ。新人時代のリングネームは「鈴木石松」で、リングインで身に着けた三度笠と合羽の股旅スタイルは自ら考案したものだったという。
1969年にライト級新人王を獲得。その後、世界挑戦を重ねるも敗北が続いた。しかし、1974年に3度めの世界戦で悲願のWBC世界ライト級王座を獲得。当時のスポーツ紙が歓喜する姿を「ガッツポーズ」と表現したことから、勝利の喜びを示す両拳突き上げのポーズが広く「ガッツポーズ」と呼ばれるようになった。
「強面のイメージとは裏腹に、そのスタイルは技巧派。巧みなフットワークで相手の攻撃をかわし、鋭いカウンターを打ち込むテクニシャンでした。当時のライト級は群雄割拠の激戦区。そのなかで達成した5度の王座防衛は、今なお日本ボクシング史に燦然と輝く記録といえます」(スポーツ紙記者)
1976年に王座を失い、翌年には階級を上げて再挑戦するも及ばず。1978年、リングを去った。しかし、ガッツさんの本領は引退後にこそ発揮された。
タレントへ転身すると、天然とも評された独特の受け答えでお茶の間の人気者に。とくにクイズ番組での珍回答は伝説となり、2004年には、お笑い芸人でミュージシャンのはなわが『伝説の男~ビバ・ガッツ~』として楽曲化し、大ヒットとなった。
その一方、俳優としても確かな足跡を残した。代表作として知られるのは、ドラマ『北の国から』や『おしん』。朴訥(ぼくとつ)とした存在感と味わい深い演技で、多くの作品を支えた。しかし、その原点は小劇場の舞台にあった。
1981年、100人も入れば満席になる東京・銀座のみゆき館劇場で上演された舞台『ミュージカル じゃりン子チエ』で、主人公チエの父・テツ役を演じたのが、本格的な俳優活動の第一歩だった。当時のスタッフがこう振り返る。
「すでに世界チャンピオンとして名声を得ていましたが、『俳優をやるなら4回戦ボーイからやるのが当たり前だ』と言って舞台出演を引き受けてくれました。
演技経験の浅いガッツさんは、台本を読みながら『なぜこのセリフになるのか』と一つ一つスタッフに確認する姿が印象的でした。生真面目そのもの。元世界王者のころの豪快なイメージしか持っていなかったスタッフは、みな驚いていました」
じつは、ガッツさんには、ボクサーになる以前から俳優への憧れがあった。
「名優・高倉健さんの熱烈なファンだったそうです。上京後には東映東京撮影所のオーディションを受けたこともあったが、養成所の受講料3万円が払えず断念したと聞きました」(同)
それでも夢は捨てなかった。その後、役者としての仕事が増え、任侠映画で高倉さんと共演したときは、高倉さんから小説「宮本武蔵」をプレゼントされ、感激したことをインタビューで語っている。
世界王者となり、タレントとして成功し、そして俳優としても独自の存在感を築いた。貧しい少年が拳一つで人生を切り開き、やがて「ガッツポーズ」という言葉とともに国民的人気者となった76年の生涯。その破天荒で人間味あふれる姿は、多くの人々の記憶に残り続けるだろう。
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