
現役時代のガッツ石松さん(写真・共同通信)
元WBC世界ライト級王者でタレントのガッツ石松(本名・鈴木有二)さんが、6月2日、肺炎のため死去した。享年76。
若い世代から見ればガッツさんはユニークで演技力の光る名優のイメージが先行するだろうが、ボクサーとしても素晴らしい実績を残している。
「ガッツさんが1974年に世界王者になったとき、すでに11敗していました。これだけ負けが多いと世界に挑戦することはほぼ不可能なんですが、その負けのなかには “石の拳” の異名を取ったロベルト・デュランも含まれていました。そうした強敵相手にも名勝負を演じてきたからこそ、世界挑戦につながったのです。
そして、こちらも強かったロドルフォ・ゴンザレスを8回KOし、アジア人初のライト級王者に輝きました」(スポーツライター)
この試合でKOにつながった鋭い “右ストレート” は、後のガッツさんの代名詞となる。
「当時は試合後に勝った選手が放送席に駆けつけ、生解説するのが定番でした。ガッツさんは自ら右ストレートを “幻の右” と命名しました。確かにすごいパンチでしたよ。
でも、ガッツさんは、そのパンチの軌道を見ながら『ねえ、すごく速かったでしょ。これは避けられないよね。ねえ、見えなかったでしょ』と何度も何度もアピールしたわけです。
映像はスローモーションで、当たった瞬間にゴンザレスの顔がゆっくりと歪んでいくまで、ハッキリと見えました。
ガッツさんは、その後、芸能界でも活躍していくわけですが、チャンピオンになった当時からユニークな面は持っていたようです」(前出ライター)
リングを離れても話題には事欠かなかった。普通のボクサーは、次の試合のために多くて7~8kgの減量する程度だが、ガッツさんはオンとオフが極端だったため、毎回10~15kg近くの減量を強いられた。計量後の肌はカサカサで、まるで生気を失ったようだったという。
「東京・池袋で弟がケンカに巻き込まれた際は、急いで駆けつけ、パンチ8発で8人を “KO” した武勇伝が残っています。当然、プロボクサーの拳は “凶器” とみなされ、手を出した瞬間にアウト。ライセンス剥奪は避けられない事件でした。
ところが、現行犯逮捕されたものの、事情聴取で『東洋王者の賞状に、チャンピオンはいつ、いかなるときでも、誰の挑戦でも受けなければならないと書いてある』などとトンデモ供述を繰り広げたそうです。結局、2日間勾留されたものの、正当防衛が認められてライセンス停止は免れました」(同)
このときの寛大な裁きがなければ、後の世界王者は生まれることはなかった。 記憶にも記録にも残る名王者だ。
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