板東英二さん
タレント・板東英二さんが、慢性心不全のため亡くなっていたことがわかった。86歳だった。
7月28日、板東さんの公式サイトで、《突然のお知らせとなりますが、板東英二は、令和8年7月22日に慢性心不全のため永眠いたしました》と、家族一同からのコメントが寄せられた。続く発表文では、《急な旅立ちとなり私共も心の整理がつきません》とつづられている。
1958年の夏の甲子園で83奪三振を記録して一躍注目を集めると、1959年に中日ドラゴンズに入団し、11年間で77勝をあげた。引退後は『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ系)の司会や、俳優として日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞するなど、マルチな活躍を見せた。
「2012年、国税庁の確定申告推進キャラクターに起用されていたにもかかわらず、個人事務所が7年間で約7500万円の申告漏れを指摘されました。その後、謝罪会見を開くも、レギュラー出演していた『世界・ふしぎ発見!』(TBS系)の出番がカットされ、ほかの番組からも姿を消すこととなりました。2020年、自宅の近所で転倒し、頭部を強打したため入院したと報じられて以降、表舞台に姿を見せることはなく、心配するファンも少なくありませんでした」 (芸能記者)
板東さんは4人兄弟の末っ子で、2番目の実姉・Sさん(89)が神戸に住んでいる。29日、本誌記者がSさんのもとを訪れると、しっかりとした口調で取材に応じてくれてた。
「28日のお昼、整形外科に行ってマンションに戻ると、私の娘が待ち構えていたんです。『どうしたんや』と聞くと、『お母さん、いまから私が言うことを聞いても泣いたらあかんで』と言い、『英二のおじさんが亡くなったという連絡があったよ』と。そこで初めて英二が亡くなったことを知りました。
娘は私が泣いてしまうんじゃないかと心配していたみたいですけど、泣きませんでした。心配する娘には『もう年やし、仕方ないわ』とだけ言いました。まあ、こればっかりは順番やから。私もこの年になると覚悟は決めています。いつ、どんな形で死ぬことがあったとしても、それは寿命なんやなと受け入れようと思っています」
板東さんとは何年も顔を合わせておらず、“疎遠状態” だったというが、2月には、板東さん本人から “サプライズ” があったという。
「うちの主人が亡くなったときに、両手に入りきらないほど大きな供花を英二が送ってきてくれたんです。亡くなったことを誰かから聞いて知ったんでしょうね。『ありがとう』やね」
姉から見た板東さんは、どんな人物だったのか。
「小さいころはずっと母親に甘えてばかりでした(笑)。母親はこの近所に住んでいて、最期は私が引き取って、看取ったんです。だから、英二は私に感謝しているというか、『申し訳なかったな』と思っていたんでしょう。
プロ野球選手になってからも、甲子園で試合があるたび、用事もないのによく母親の顔を見に家へ来てくれました。ちょっと会って、また戻るという感じでした。母親想いでしたね」
本誌記者は、都内にある板東の娘が住むマンションを訪れたが、「数年前、板東さんがおひとりでエントランスから出てきたところをお見かけしたことがあります。お元気そうでした」という近隣住民がいただけで、足取りはわからなかった。
訃報報告では《家族に囲まれ穏やかな時間を過ごせましたこと、故人にとっては何よりの幸せだったと思います》とつづられている。板東さんの晩年は、けっして孤独ではなかったようだ。
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