
中森明菜
松田聖子さんが『裸足の季節』(1980年4月1日発売)でデビューしたのは、私が中学2年生のときで、中森明菜さんが『スローモーション』(1982年5月1日発売)でデビューしたのは、それから2年後、私が高校1年生のときでした。
お2人とも時代を彩った超トップアイドルで、当時は男子も女子も “聖子さん派” と “明菜さん派” に真っ二つです。
わたしの青春時代のトップアイドルだった明菜さんが、19枚めのシングルとしてリリースしたのがこの『難破船』で、発売はわたしのデビューと同じ1987年です。
作詞・作曲は加藤登紀子さん。加藤さんご自身が20歳のときに経験された激しい恋心……くるおしいほどの深い愛と、その愛を失った哀しみを歌った曲で、加藤さんが40歳のとき(1984年)に発表されたバラードです。
「40歳の私が歌うより、22歳の明菜さんに歌ってほしい」
テレビ画面に映る明菜さんを観た加藤さんが、自ら明菜さんにカセットテープを手渡し、それを聴いた明菜さんご自身が、この曲を歌うことを切望されたことでリリースに至ったそうです。
この年、事務所とレコード会社の頑張りで、わたしも賞レースに参加。会場で明菜さんとご一緒させていただく機会がありましたが、遠くからお見かけして、 “うわぁぁぁ、明菜さんだ!” と、心の中で叫んでいただけです。
ご挨拶させていただくなんてとんでもありません。デビューしたばかりの新人と、トップアイドルの明菜さんとの間には、天と地ほどの差がありました。明菜さんと親しくさせていただくようになったのは、ここ数年のことです。
ヘアメイクさんが、昔から明菜さんと仲よくさせていただいているというご縁で、わたしもご飯をご一緒させていただいたり、還暦パーティに交ぜていただいたり……。
そのお祝いのパーティで、ケーキを移動する際に、「危ないからいったん火を消すね」と言った(藤)あや子さんが、主役の明菜さんより先に、フーッとロウソクの火を吹き消してしまうというお茶目な事件もありましたが……モゴモゴモゴ(笑)。
明菜さんの『難破船』をカバーさせていただいたのは、2021年10月にリリースした “情念ポップス” を中心にしたコンセプトアルバム『Love Emotion』のときです。
あの曲はどうかな。この曲がいいと思う……制作会議の席上、「『難破船』を歌ってみたい」と言いだしたのは、このわたしでした。
明菜さんへのリスペクトはもちろんのことですが、壊れそうなほど繊細で、圧倒的な悲壮感と情念に満ちているこの歌を、わたしも一度歌ってみたい—。
ひと言ひと言の重みを感じながら臨んだレコーディングは、歌い始めてから歌い終えるまで、いや、歌い終えた後もしばらくは緊張感に満ちていました。
聴いてくださる方がどう感じるのかは、こちらに置いておいて(笑)、加藤さんが歌う『難破船』とも、明菜さんが歌う『難破船』とも違う、坂本冬美の『難破船』として、皆さんの心に届いていたら嬉しいです。
ただ……。歌と恋の二者択一を迫られたとき、いつも歌を選択してきたわたしには、『難破船』の主人公を演じることはできても、心の奥の奥の奥から滲み出す哀しみを歌い尽くすことは難しくて……。明菜さんが歌う『難破船』の足元にも及びません。
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