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「胸に目がいってニュースが入らない」の苦情でNHK退社から写真集1万DL超え! 沖縄の44歳”スイカップ”アナの人生逆転劇

芸能 記事投稿日:2026.09.13 06:00 最終更新日:2026.09.13 06:00

「胸に目がいってニュースが入らない」の苦情でNHK退社から写真集1万DL超え! 沖縄の44歳”スイカップ”アナの人生逆転劇

ラジオ沖縄の竹中知華アナ

 

「嬉しいとともにびっくりしました。ほかにたくさんご活躍されている方がいらっしゃるのに、ありがとうございます。グラビアやいろいろな活動もあったので、それでかなっていう感じですが、選んでいただいて本当にありがたいです」

 

 こう話すのは大手広告代理店が調査し、「FLASH」(2026年9月22日発売号)で発表された「ローカルスターランキング」九州・沖縄ブロック1位に輝いたラジオ沖縄アナウンサーの竹中知華だ。広島出身で「学生時代はどちらかというと答えが出るほうが好きだった」と話す竹中アナは、広島工業大学の電子光システム工学科に進学。そのころは、アナウンサーになることは考えていなかった。転機となったのは、大学時代のイベントコンパニオンのアルバイトだ。

 

「自分に自信がないというか、ちょっと思春期をこじらせているようなコだったので、司会者の方がとても輝いて見えたんです。たまたま、その方と帰りの市電で一緒になったので、『すごくキラキラしていて素敵だな、憧れます』と話をしたら、『姿勢を正してニコニコしたら、あなただってもっと輝けるんだよ』というような話をしてくださって。『私に憧れるというなら、アナウンス教室に通って挑戦してみたら』と言ってくださったのが、とても嬉しかったんです」

 

 こうして「RCCアナウンススクール」に通い始めると、同年代のアナウンサー志望者たちと出会って刺激を受け、自身もアナウンサーを目指すようになる。

 

「アナウンサーは目指せる職業なんだって実感しました。ただ、実際に番組で喋る経験はなかったので、ただの憧れからのスタートでした」

 

 とにかくどこかの局にアナウンサーとして合格したい一心で、全国の局を受験した。だが、アナウンサーは狭き門。どこにも受からず、1年間の就職留年を選んだ。そして翌年、青森朝日放送にアナウンサーとして入社する。

 

「何もわからず、ニュース原稿の書き方から取材の仕方まで、一から教わりました。当時の上司から教えられたのが『心技知体』。伝えたい気持ち、アナウンス技術、知識、体力。この4つのどれが欠けてもアナウンサーは成り立たないと教えられました。青森では仕事だけでなく、誕生日には大きなスコップをプレゼントしていただき、雪かきの仕方も教わりました(笑)」

 

 右も左もわからない新人時代を青森で過ごし、約1年後に結婚して退社。その後、岩手朝日テレビで情報番組のリポーターとして活動していたが、離婚を機に広島の実家に戻った。

 

「母が『あんたの帰る場所はここだからね』と言ってくれたのがすごく嬉しくて。離婚して仕事も失っていたので精神的にかなり落ち込み、数カ月は寝て過ごし、ご飯のときだけ起きるような日々を送っていました。でも、このままだと私は本当にダメになると思って、お土産屋さんでアルバイトを始めたんです。仕事をしていると、あんなに必死に追いかけたアナウンサーの仕事を簡単にやめていいのかと思うようになり、やはり私はアナウンサーの仕事がしたいんだと再認識するようになりました」

 

 ちょうどそのころ、NHKの地方局採用が始まっており、竹中アナはいろいろな地方局を受験したが、なかなか結果には繋がらなかった。面接官に対して結婚と離婚の経緯をなかなか口に出せず、短期で辞めた理由をお茶を濁して伝えていたからだ。しかし、沖縄放送局の面接では「もう濁すのはやめよう」と決意。結婚と離婚の経緯を正直に話し、アナウンサーの仕事に対する強い思いがあって受験したと伝えた。「落ちただろうな」と思っていると採用の連絡があり、すぐに沖縄へ向かった。

 

■苦情と「第二のスイカップ」報道に揺れたNHK時代

 

「最初の3年間ぐらいは観光気分でした。どこに行ってもキラキラしているし、海は本当にきれいだし。お祭りなどの行事や食事も独特で、人のつながりがとても強い。私はそんな沖縄の環境がとても合っていて、いい場所だなと感じていました。仕事では朝のニュースを担当させていただき、ニュース読みの技術も一から教えてもらって、楽しく仕事をさせていただいていました」

 

 だが、そんな日常の中で、ある出来事が起こる。視聴者から「胸に目がいってニュースが入ってこない」という電話が寄せられるようになり、竹中アナの胸が大きいことが問題視され始めたのだ。上司から服装について考えるように言われ、悩んでいたある日、週刊誌に写真を撮られてしまう。

 

「出社するときに『竹中さん』と呼ばれて振り向いたら、いきなりバシャって(笑)。すぐ上司に報告すると『家に帰ろう』とNHKの車で自宅まで送ってくれ、とりあえず自宅待機となり、『困ったことがあったらすぐに言って』と私を守ってくれました。ただ、その週刊誌で『第二のスイカップ発見』みたいに報じられたことでネットでも話題となってしまい、“おっぱいの大きな人”という認識が広まってしまいました」

 

 竹中はこの一件から、自分はどうするべきかと苦悩するようになる。

 

「誰も悪くないんですよね。ニュースを見ていておっぱいが気になると苦情を言ってくる視聴者も悪くないし、『こんなことがあるから気をつけようね』と気を遣ってくれた上司も悪くないし、仕事でいらした記者の方も悪くない。でも、ニュースを読むときには上半身が映るから、隠すのは難しい。このままだと自分の胸も否定しなきゃいけない。それは自分の居場所として違うんじゃないかなって。この胸を個性として受け止めてくれる場所に行ったほうが、自分のためになるし、みんなのためになるはず。やっぱり楽しく人生を生きたいという気持ちもあったので、辞めることを考えるようになりました」

 

 その後、NHKを退社する際、胸の話題をプラスに受け止めていると伝えたい思いと、フリーとして活動するための名刺代わりとして、自費で写真集『ASAKARATOMOKA』を制作。沖縄限定で発売したところ話題となり、『有吉反省会』などからも声が掛かってグラビアのオファーが届くようになった。

 

「沖縄県内で完結しようと思っていたので、反響には驚きました。ただ、このころの私はニュースが読めるだけで、ほかに何のスキルもない。自分の軸がなかったんです。そんな私がグラビアというのは違うはずと思って、お断りしました。以前、週刊誌の方にいきなり写真を撮られたこともあり、『東京の人は怖い、グラビアの人は怖い』という気持ちもありました(笑)」

 

■43歳で水着グラビア挑戦、1万DL突破で得た確信

 

 フリーとして1年ほど活動した後、2017年にラジオ沖縄に入社。ここから竹中アナの人生は大きく変わっていく。

 

「それまでは淡々と5分間でニュースを読む作業だったので、個性を出してはいけない仕事だったんですよね。でも、ラジオは個性を出していいから、自分が思っていることを話していいし、胸が大きいことも話していいんです。これが本当に楽しくて。ただ、最初は個性を出さないことが染みついていて、なかなかできなかったんですよね。でもリスナーさんが、私が本音で喋っていいんだという感覚を掴むまで待っていてくださって。取材も自分で決めて、音を録りに行って、編集して流しています。沖縄はどこに行っても新しい発見があって新鮮。私が体験したことを皆さんに伝えて知ってもらう。ただの憧れで入ったアナウンサーの世界ですが、これがこの仕事のいちばんの楽しさだと今は思います」

 

 2020年からは午後の人気ワイド番組『華華天国』を月曜から木曜まで担当。2025年にラジオ沖縄が65周年を迎え、さまざまなイベントが開催されるなか、竹中は「変なことをする年にしよう」という目標を掲げた。「artOmOca」という展示会を開いたり、歌にも挑戦したりして、「MOTOKARATOMOKA」という写真集付きのCDを発売。すると、集英社オンラインから取材依頼があり、『週刊プレイボーイ』でのグラビアオファーへとつながった。

 

「最初はいやいや、と思いました。もう43歳でしたし、水着なんて絶対に考えられなかったんですよ。でも、オファーがきたことに少し『うれし恥ずかし』みたいな気持ちがあって、『おもしろくない?』って人に言いたくなったんです(笑)。それで『華華天国』の当時のディレクターに話したら『おもしろいじゃん。リスナーさんに相談してみたら?』という話になり、番組内の『リスナー相談室』のコーナーで相談したんです。すると女性陣から『やりたいという気持ちがちょっとでもあるなら、私はやるよ』とか『今しかできないことだよ』といった声が届いて。私はもっと『グラビアなんて恥ずかしいからやめなよ』という声が多いと思っていたんですけど、本当に皆さんが真剣に考えてくれて。でも、だからこそ『リスナーさんに言われたから』という理由で決めたくなかったんです。ちゃんと自分で決めたかった。今はリスナーさんもいるし、仕事も頑張れていて、何より自分の中に軸があると思えたんです。30代で『ASAKARATOMOKA』を出したときにグラビアのオファーをいただいたときとは、この『軸がある』という点が大きな違いでした。43歳ですし、受けたら『何やってるんだ』と言われるリスクがあることも理解したうえで、お受けしようと決心しました」

 

 こうしてグラビア撮影に挑むことを決めた竹中アナは、水着にも挑戦する。

 

「『週刊プレイボーイ』に出ている若いグラビアアイドルの方たちが水着で頑張っているなか、私だけ洋服というのは違うと思ったんです。だったら受けるべきではないと。体作りは頑張ってみますが、限界があると思いますとお伝えしたところ、『そのままでいいんですよ』と言っていただけたので決意しました」

 

 これまでダイエットや運動習慣はほとんどなく、仕事も忙しかったため、撮影までの2カ月ほどは仕事終わりにChocoZAPに通い、15分歩いて筋トレをし、また15分歩くなどの運動を続けた。「22時ぐらいから一人で黙々とやって、よく眠れて健康的になった」と笑う。

 

 11月に発売されたデジタル写真集は、発売1週間で1万ダウンロードを超える大ヒットとなった。恥ずかしくて周囲には聞けなかったため、その数字はネットニュースで知ったという。最初は戸惑いしかなかったが、徐々にその気持ちは変わっていった。

 

「NHK時代に『第二のスイカップ』と胸のことを言われて、自分を抑えている時期がありました。でも、どこかで私のことを知ってくれていた人が購入してくれたのだとしたら、ずっと見ていてくださったんだと幸せな気持ちになりました。『この体でいいんだね』って、認めてもらえたような気持ちになりました。それまでは、何か触れてはいけないものを身に着けているような気持ちがどこかにあったんです。でもグラビアの反響を受けて、認めてもらえたんだ、もう恥ずかしいことではないと思って生きていけるんだと思えて、本当に嬉しかったです」

 

「変なことをいっぱいしよう」と決めた2025年、竹中アナの人生は大きく変わった。いつもしないことに挑戦したからこそ、今につながっていると話す。

 

「44歳は今後の自分が想定できるような年齢。でも、歌にグラビアにと新しい挑戦をしたことでドキドキ感があって、すごく刺激的で楽しかったです。いろんな世界を見てみたいという気持ちがあるので、ちょっと休憩をしたら、また違う刺激を受けてみたい。グラビアも需要があれば、また挑戦してみたいですね(笑)。この年になると、誰かとどこかの居場所を取り合うとかそういうことじゃなくて、自分の居場所を自分で作れるような生き方をしたいと思うんです。沖縄は人と人との距離が近くて、自然も素晴らしくきれいで、独自の歴史や文化が育まれていて。長く住めば住むほど、どんどん好きになる場所です。そんな沖縄で、これからも新しいことに挑戦していきたいですね」

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出典元: 週刊FLASH 2026年9月22日号

著者: 『FLASH』編集部

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