
浜村淳(写真・馬詰雅浩)
「50年なんてね、あっという間ですよ。毎朝やっていると、本当にすぐ過ぎていくもんです。ただ、寂しい思いはあります。まだまだしゃべり足りない。口だけは達者ですからね」
9月26日、関西の長寿ラジオ番組『ありがとう浜村淳です』が、最終回を迎えた。前身の『ごめんやす浜村淳です』を経て、1974年に帯番組としてスタート。映画評論家の浜村淳(91)がパーソナリティを務め、その日のニュースから芸能、映画までを独自の語り口で縦横に語る朝の名物番組として、半世紀以上にわたり関西の人々に親しまれてきた。
■「枕元にマイクを置いてしゃべってくれ」
「ほかにやる人がおらんねん。あんたしかおらん、頼む!」
当時、MBSラジオの番組プロデューサーは、浜村にそう熱烈なオファーを送った。
「いろいろな人に朝の帯番組の話を持ちかけたけど、み〜んなに断わられたと言うんです。『朝5時に起きて6時に家を出て、8時から放送? とんでもない。絶対嫌や!』と。芸能人、芸人というものは、例外なくみんな朝が弱いんでね」
浜村自身も、すでにほかの番組を抱えていたため、当初は出演をためらっていた。そこでプロデューサーは、驚きの秘策を打ち明けた。
「あんた、寝ててもいいから、枕元にマイクを置いてしゃべってくれ」
冗談のようだが、本気の提案だった。
「家の前に中継車を停めて、そこから電波を飛ばすと。『そこまでおっしゃるなら、やりましょう』ということになったんです。だから、ねじり鉢巻きをして『さぁ、やるぞ!』というような意気込みで始めたわけじゃなかった。とりあえず、2年という期限で引き受けたわけですね。ところが、やってみるとだんだん楽しくなってきたんです」
■ゲスト1万人との忘れられない時間
番組コーナー「朝からようこそ」には、国内外から名だたる大物芸能人が出演した。
「女優のソフィア・ローレンが、胸元がずいぶんあらわになったドレスを着てやってきたんです。そのとき私は、『彼女の胸は96cmあります』言うて、胸元をのぞき込んだんですよ。そしたらソフィア・ローレンが、いきなり『立ちなさい!』って言うわけです。
スタジオ中、シーンと凍りつきましたね。世界の大スターに向かって、なんという無礼なことをやるのかと。『ああ、大失言をやったな』と思っていたら、ソフィア・ローレンが、『いいですか。立てばもっとよく見えるでしょう』と(笑)。じつに楽しかったですね」
石原裕次郎さんが、放送中にスタジオへ飛び込んできたことがあった。
「出番はもっと後だったのに、裕次郎さんが黙ってスタジオに入ってきて、私の両肩に手を置いて『しばらくでした』と言うんですよ。生放送ですから、その声が流れまして。するとリスナーが驚いて、電話が殺到しましてね。
『今の声は、裕次郎じゃないか。早よ出せ』『浜村、あんたはしゃべらんでもええ。裕次郎さんにしゃべってもらえ』って(笑)」
ブースにそっと入り、静かに席に座ったのが、高倉健さんだった。
「健さんはね、『人は僕をストイックだと言うけど、本当は冗談も笑いも大好きなんですよ』とおっしゃるんです。でも映画を観ていると、無口で男っぽくて、やっぱりストイックに見える。そう言うと、健さんが『遙かなる山の呼び声』(1980年)の話をしてくれました。
ラストシーンで山田洋次監督から『涙を流してほしい』と言われて、『僕のイメージじゃないからできません』と断わった。監督も『わかりました』と言ったのに、本番直前に、『やっぱり健さん、泣いてください』と監督に言われて、涙を流したというんです。そんな裏話を聞けるのがおもしろかった」
先日、氷川きよしがゲスト出演した際には、浜村が好きな『無法松の一生』をアカペラで披露。話が進むうちに、2人の感情も次第に高ぶっていった。
「氷川さんが歌う『カスバの女』がいちばん人の心をつかみますね、と伝えたんです。そうしたら氷川さんは感極まって、涙をこぼされて。本当にびっくりしました。ああいう反応は嬉しかったですね」
吉永小百合、大竹しのぶ、五木ひろし、石川さゆりら、番組を訪れたゲストは1万人以上にのぼった。
映画評論家である浜村の真骨頂が、名物コーナーの「映画サロン」である。アメリカ映画『心の旅路』(1947年)を20分ほど語ったところ大きな反響があり、それをきっかけに毎週映画を紹介するようになったという。
「1本紹介するのに、40分かかるんです。たとえば、溝口健二監督は長回しで知られ、長いものではワンカットが5分ほど続くこともありました。『雨月物語』(1953年)、『西鶴一代女』(1952年)、『祇園囃子』(1953年)とか。
もう映画を観ると、『ここ、わかっとんねん。終わるところもわかっとんねん』というところを、こっちはしつこく、『このとき若尾文子がこんな表情をしました。香川京子はこんな動作をしました』言うてしゃべり続けるわけです」
是枝裕和監督に、「浜村さんは映画の結末を全部しゃべる」と言われたこともあった。
「監督はそんなことを言いましたね。でもね、結果的には、『あれだけ詳しく話してもらってよかった』言うて帰りましたよ。話が脱線することもありますが、興味の赴くままにしゃべっていると、時間はどんどん延びていくもんです。それはもう映画愛ですよ。
『次はどうなる?』と、みんなが興味を持って、のめり込んで聴いてもらえるように、話をしています」
今も、浜村はおしゃれに気を使う。この日は麦わら帽子にピンクのジャケット、胸元にきらりと光る装飾をあしらった黒のトップス。華やかな装いを、さらりと着こなしていた。
「もうおしゃれしか楽しむことがなくなってきました。
若いころ、健さんが僕に言いましたね。『自分は、朝、洋服ダンスを開けて、今日はどれを着ていくか、迷うことがずいぶんあります。僕はそういう人間なんですよ』と。あの男っぽい健さんでもそうなのかと、かなりショックを受けましてね。
自分も、おしゃれしたいときは思い切ってやろうじゃないかと。そういう気になったことは確かですね。着ていく服は、前の日の晩に選ぶようにしています」
50年以上、ラジオと向き合ってきた浜村は、音声メディアだからこそ伝えられるものがあると確信している。
「ラジオとテレビはよく比べられます。テレビには映像がある。ラジオは音だけだから、『テレビにはかなわない』と言われることもあります。
でも、私はまったくそう思いません。テレビは映像で伝えますが、ラジオは話芸で想像を膨らませるものです。ひとつひとつ言葉で伝えなければ伝わらない。だからこそ、そこに『情』が生まれるのです。
ラジオというのは、聴いている人の心にグーッと突き刺さっていきます。私はずっと、そういう放送をしたいと思ってきましたし、その思いは、今も変わりません」
浜村のもうひとつのレギュラー番組『浜村淳の歌の宝石箱』(日曜、午前5時30分〜)は、継続する。
「ひとつ申し上げたいことは、ラジオでもテレビでも、やたらと若い人向きになってきたんですね。でも、これだけ年寄りが増えている日本ですからね。もっと年配の人が興味を持って理解してもらえる番組があってもいいと思います」
91歳は、まだ通過点だ。
はまむら・じゅん
1935年1月10日生まれ 京都府出身 同志社大学卒業後、タレントとしてデビュー。司会者、映画評論家、ラジオパーソナリティとして活躍中
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