
プラモをこよなく愛する高橋慶彦
「大人の趣味」としてリバイバルしたプラモデルの奥深さを、著名人が語り尽くす。1970年代後半から1980年代にかけての「赤ヘル」黄金時代、カープを牽引した不動のトップバッター・高橋慶彦(68)は、熱狂的なプラモデラーだった。
「プラモにまたハマったのは、2016年に球界を離れてからだね。それまでは忙しくて作れなかった。コロナ禍で、拍車がかかっちゃった(笑)」
2017年開設の公式YouTubeチャンネルでも、自作を披露。指定の取材場所は、2024年5月にオープンした東京・新橋のタミヤ旗艦施設だ。
「ダイエーのコーチ時代から気に入って福岡で暮らしているけど、上京するたびに立ち寄っていて、スタッフとも顔なじみ。静岡に行けば、当然、本社詣でをするし、先ごろ亡くなられた田宮俊作会長にバッタリ会ったりしたよ。小学生のとき愛読していた『タミヤニュース』にも、ついに一昨年、載せてもらった(笑)」
と、すっかりタミヤ党。店内をまわりながら、「これは作った。これは持ってるけど、まだ作っていない」と独りごつ。プラモは少年期からミリタリー系全般という。
「特にドイツのタンクは色っぽくて好きだね。小3か小4で初めて作ったのは、 “最強の駆逐戦車” と呼ばれた独ヤークトパンター。ドイツは実機があまり残っていなくて、戦争映画に出てくる重戦車ティーガーなんて、たいていは旧ソ連のT−34を “魔改造” してるんだよね(笑)」
ショーケースを覗き、選んだのは独重駆逐戦車エレファント。ポルシェ創業者が設計した、対戦車向け自走砲だ。
「1/48スケールのも出ているけど、1/35は珍しい。これはまだ作ってないな。迷彩が年代や季節によって変化するから、カラーリングを変えたくて2、3台持っているタンクがあるよ。タミヤの塗装筆は愛用しているけど、広島・熊野からも、面相筆を取り寄せています(笑)」
凝るほどにお金がかかるが、それだけ作りがいもある。だから高橋も「案外コスパのいい趣味」と力説するのだ。
取材/文・鈴木隆祐
取材協力・TAMIYA PLAMODEL FACTORY TOKYO(東京・新橋)