
角野卓造の模型歴は長い(写真・松沢雅彦)
「大人の趣味」としてリバイバルしたプラモデルの奥深さを、著名人が語り尽くす。角野卓造の模型歴は、ソリッドモデルといわれる木製模型時代にさかのぼる。
「木製キットといっても、細かな部分は木片を小刀やヤスリで削って作る、大雑把なものだったよ。プラモが出始めたころも、まだ箱じゃなく袋入りが店にぶら下がってたね」
外せないのは、英戦闘機スピットファイア。プラモの草分けである英エアフィックス社を成功に導いたモデルで、各社がこぞって発売している。
「本当は、ずんぐりした米雷撃機アベンジャーがお気に入りなんだよ。でも、いまのアメリカは好きじゃないからさ(笑)。ともかく、(ピストンエンジンの)レシプロ機一択。それ以降の飛行機には、いっさい興味なし!」
と言い切る角野だが、プラモ作りは、中2で一度、パッタリと終わったという。
「思春期に入ると、音楽や異性に興味が向くからね(笑)。中学では後年、一緒におやじバンドをることになる山本コウタローと出会ったり、演劇部にスカウトされたり……ほかにも関心が広がるじゃない」
ところが、プラモマニアとして名高い石坂浩二との出会いが転機となった。
「1994年に、『女の言い分』(TBS系)という橋田壽賀子さん原作のドラマでご一緒したんです。その打ち上げでプラモ話になってね。亡くなられた、演出の井下靖央さんもお好きで、勢いで石坂さんの別宅にうかがったら、まぁ、プラモで埋め尽くされていてさ(笑)」
この再会を機に、およそ30年ぶりに模型熱が再燃した。
「テレビに出て、ご飯を食べられるようになってましたからねぇ。息子がちょうど夢中になる年代だったのも大きい。奴にはガンプラを与え、僕は戦闘機を買いあさった(笑)」
だがいまは、大病をえて趣味を整理中。実作からは、しばらく遠ざかっている。
「でも、旅先で模型屋があればつい立ち寄るし、専門誌も読みふけっちゃう。だから“ペーパーモデラー”だね(笑)」
取材/文・鈴木隆祐
取材協力・プラモデル専門店 楽模型(東京・新橋)