
岡まゆみには『クイズグランプリ』風のポーズをリクエスト。得意分野の「芸能・音楽」50点をチョイス!
お茶の間で一緒に問題に挑み、彼女たちの地頭と洞察力に憧れた日々――。あの時代のクイズ番組を支え、彩った女性たち。女優としての活動以前、『クイズグランプリ』(フジテレビ系)のアシスタントを務めていた岡まゆみに、撮影秘話といま実践している「脳トレ」を聞いた!
今年、デビュー50周年を迎えた岡が、1974年に女子美術短期大学を中退後、入団したのが劇団四季付属俳優研究所。当初は、女優よりも裏方志向だった。
「フジテレビにドラマの収録の見学に行った際、たまたま吉永小百合さんのご主人でディレクターの岡田太郎さんにスカウトされたんです。それで、まずは1975年に『歌だ!飛び出せ2万キロ』という番組のレポーターになり、それを見た『クイズグランプリ』のプロデューサーから声をかけていただきました」
司会は東宝のスター・小泉博さん。田宮二郎さんや高島忠夫さんら、映画スターがクイズ番組の司会に続々と進出したころだ。
「私の役目は、小泉さんと一緒に登場してお辞儀をし、優勝者の席にトロフィーを置くだけ。それでも慣れていくうち、当日の感想をひと言ふた言話したり、少しは爪痕を残せたかな」
小泉の前職はNHKのアナウンサーで、ツッコミを入れるには難敵だ。つねにカチッとしたスーツ姿での几帳面な司会ぶりで、濃密な15分を演出した。
「私は “15分の女” なんですよ(笑)。後に “お姉さん” 役を務めた『まんがはじめて物語』(TBS系)は30分で2話でしたから。この番組では、短時間に膨大な情報を詰め込んでいたことが評価されたのか、2014年には『林先生の痛快!生きざま大辞典』(同)のゲストに呼んでいただきました」
今も『ハリー・ポッターと呪いの子』などの大舞台に立つ、岡のセンスはそんな疾走感のなかで磨かれてきたのだ。そんな岡の女優としての代表作といえば、やはりいきなり主演でデビューを飾った、ポーラテレビ小説『絹の家』(TBS系、1976年)だろう。
長野の寒村生まれの娘が製糸工場の女工となり、やがて当主と結婚して家業を切り盛りする、という波瀾万丈の物語だ。連続テレビ小説『雲のじゅうたん』(NHK)の昼の再放送とかち合いながらも、平均視聴率19%と競合に5%の差をつけた人気ドラマだった。そして、そこにはこんな裏話があった。
「私をいじめる役だった柳生博さんには、街中で視聴者から抗議されることもあったそうです。以降も悪役のオファーばかりが来るようになり、『好感度を上げなきゃな』と引き受けたのが『100万円クイズハンター』(テレビ朝日系)の司会だったと、その後お会いした際におっしゃっていました。『まゆみちゃんには感謝しないといけない』って(笑)」
「ハンターチャンス!」の威勢のいい柳生のかけ声で知られた同番組は1981年から1993年まで続き、昭和〜平成を代表する人気クイズ番組。岡と柳生の共演がなければ成立しなかったとは、まるで昼メロのように運命めいている。
【おすすめ「脳トレ」は?】数独や四文字熟語ドリルをやったりするけれど、台詞を覚えることがいちばん。『ハリポタ』の校長役は、長台詞があるんです。
『クイズグランプリ』(フジテレビ系、1970~1980年)
5名の参加者が獲得点数順に並んだ「スポーツ」「芸能・音楽」「文学・歴史」「社会」「科学」「ノンセクション」の6ジャンルから問題を選び、最高点を競い合う本格クイズ番組だった
取材/文・鈴木隆祐
写真・保坂駱駝
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