
大島さと子は現在、ハワイと日本の2拠点生活を送る
お茶の間で一緒に問題に挑み、彼女たちの地頭と洞察力にあこがれた日々――。あの時代のクイズ番組を支え、いろどった女性たち。『ハイ&ロー』シリーズ(TBS系)に出題者などで出演していた大島さと子に、撮影秘話といま実践している「脳トレ」を聞いた!
大島は1984~1986年、カルト的な人気を集めた深夜番組『グッドモーニング』(テレビ朝日系)の司会としてブレイクしていた。
「中村有志さん扮する草井雲竹斎先生ら変キャラに囲まれ、私だけ真顔で“才色兼備”と自称して、原稿を読むキャラがウケたんです。おかげで、何も怖くなくなりました」
その後に出演したのが、『ハイ&ロー』シリーズだ。問題を解きながら、すごろく形式で平社員から社長まで「出世」を目指す視聴者参加型番組だった。
「シリーズ最初の『人生ゲームハイ&ロー』(1981年)から、司会の愛川欽也さんのアシスタントで出ていました。当時は成城大学の学生で、『今日の賞品は~』なんて言うだけでしたけど(笑)」
『グッドモーニング』と同じ1984年、玉置宏さん司会の『貴女も社長ハイ&ロー』として再スタートすると、大島も出題者に“出世”。シリーズ終了まで担当した。
「問題を読み上げる立場になり、その後のキャスティングにつながるきっかけになった、私の“原点”のような番組だったと思います」
そう語るとおり、1988年には回答者として『クイズ!!ひらめきパスワード』(1985~1992年、毎日放送)に出演。女性軍キャプテンを務めると、1991年の『クイズバトルロイヤル待ったあり!』(朝日放送)では、ゴールデンタイム司会者の座に昇りつめた。
「いずれも大阪制作、島田紳助さんとの共演でした。私が関西ノリに同化しなかったから、ともかくツッコミや下ネタがきついんですよね(笑)。『彼氏おるんか?』とか」
そんな“口撃”をサラリとかわす「怖いもの知らず」が、大島のキャリアを支えてきた。
【おすすめ「脳トレ」は?】「とくにないなぁ。じゃ、試しにクイズやってみましょうか?」と記者に出題を要求。付け焼き刃で考えた問題のせいで、正解は5問中2問だった。
『ハイ&ロー』シリーズ(TBS系、1979~1985年)
『人生ゲームハイ&ロー』としてスタートし、以降3回、タイトルを変えて続いた。放送時間も当初は月曜夜だったのが、日曜の昼過ぎへ、次いで平日の昼帯へと、目まぐるしく変わった。
取材/文・鈴木隆祐
写真・保坂駱駝
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