
益田由美は「なーるほど、ザ・ワールド」ポーズをとってくれた
お茶の間で一緒に問題に挑み、彼女たちの地頭と洞察力にあこがれた日々――。黄金時代のクイズ番組を支え、いろどった女性たち。『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)でレポーターとして大車輪の活躍を見せた益田由美に、撮影秘話といま実践している“脳トレ”を聞いた!
益田の当時のあだ名は「ひょうきん由美」。かぶりもの姿で世界中を息せき切って駆けめぐった。
「私の地声は低くて、しゃべりのトーンがゆっくりだから、ディレクターには、頭のてっぺんから声を出すように言われていました。なんとか自分の殻を破らなくちゃと、町内を何周か走って息を切らし、『はい、みなさ~ん』って出てみたこともありました」
あがり症で、自称“落ちこぼれ”。ほとんど仕事がなかったという益田に、『なるほど!』の出演依頼が舞い込んだ。
「当初はタレントさんが海外へ取材に行き、私は国内をレポートする予定でした。ところが、番組が開始してすぐ、ネパールロケに行く人が見つからず、『益田だったら出演料はかからない』と、いきなり現地集合させられたんです」
国内での一人旅すら未経験だった益田は、あれよあれよとその1年間だけで13カ国、1988年の番組勇退時までに通算69カ国を訪ねた。
「私には台本が渡されず、クイズの問題や答えもわからないまま収録するんです。ぶっつけ本番で、視聴者と驚きを共有するのがコンセプトでした。サバンナではトラックの荷台に乗り、投げ縄のハンターと行動をともにするロケもありました。動物園に送るキリンを追いかけ、生け捕りにするんです。そんな過酷な取材が、6年半続きました」
その後の益田は、『晴れたらイイねッ!』などのアウトドアや紀行番組を自らいくつも立案するまでになった。引っ込み思案な性格を、『なるほど!』が鍛え直したのだ。
【おすすめ「脳トレ」は?】 デッサンや陶芸、韓国語です。そして、洋裁と編み物。(取材日に持参・着用していた)この帆布のバッグやボーダーシャツ、ジャケットも手作りですよ。
『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系、1981~1996年)
世界各地の風物や文化をユーモアたっぷりに紹介した紀行クイズ番組の元祖かつ金字塔。解答者以外でレポーターとして起用された芸能人も多数いる。益田は、迫文代(当時・共同テレビジョン)と双璧をなす名物レポーターだった。
取材/文・鈴木隆祐
写真・松沢雅彦
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