
「出演すると、なんでわかんないんだ~ってなるんです」と笑う斉藤慶子(写真・保坂駱駝)
お茶の間で一緒に問題に挑み、彼女たちの地頭と洞察力にあこがれた日々――。あの時代のクイズ番組を支え、いろどった女性たち。超人気番組だった『クイズダービー』(TBS系)で活躍した斉藤慶子に、撮影秘話といま実践している「脳トレ」を聞いた!
宮崎県小林市生まれの斉藤は熊本大学出身。大学の先輩にあたる宮崎美子とは「何かと縁がありました」と懐しむ。
「私の芸能界デビューはJALキャンペーンガールですが、そのきっかけは、学生時代に熊本の『鶴屋百貨店』で広告モデルのアルバイトをしていたこと。じつは、後に関係者の方から聞いたところによると、当時競合といわれていた『岩田屋伊勢丹』は宮崎さんを起用されていたらしく、それが私に声がかかった理由のひとつだったとか……。『クイズダービー』では、“いじられ枠”といわれる2枠で、私の前任者でしたし(笑)」
『ダービー』出演時について、斉藤は「小・中・高とガリ勉タイプだったんです。勉強は、それでもうすっかり燃え尽きちゃってましたね」と回想し、笑った。
番組では1枠に仏文学者・篠沢秀夫さんらトリッキーな知識人、3枠に勝率.747のはらたいらさん、4枠に同.633の竹下景子を長く据えた。5枠はつねにゲストだった。
「私の勝率はいくつ? .274!?……まぁ、そんなもんか(笑)。クイズ番組って、家で見ているときには解けるんですよ。実際に出演すると、なんでわかんないんだ~ってなるんです。観覧される方もいらっしゃるし、やっぱり圧が違います。でも、珍解答を求められるトンチ問題は、わりと当たった気がします。司会の大橋巨泉さんに、『新人類だねぇ』って言われたこともありました(笑)」
と自嘲するが、いわゆる地頭が秀でたタイプ。ゆえに女優として大成してもなお、クイズ番組の出演オファーはひっきりなしだ。
1987~2000年まで放送された『クイズところ変れば!?』(テレビ東京系)では、開始から6年間、アシスタントを務めた。全国を旅人目線の主観カメラでめぐり、出題するスタイルだった。
「エンディングが方言クイズで、その前に(首を傾げ)“ところ変われば、言葉変わる”って言うのよね(笑)。司会の山口良一さんの穏やかさにぴったりの、ほのぼのとした番組でした」
と、キメポーズを再現してくれた!
【おすすめ「脳トレ」は?】大学院(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科)でみっちり勉強しました。若い学生さんと飲みに行ったりする交流も、刺激になりましたね。
『クイズダービー』(TBS系、1976~1992年)
1979年6月30日に記録した視聴率40.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は民放クイズ番組中歴代1位。一般出場者が、タレント解答者のなかからクイズに正解すると思う者に持ち点を賭けるスタイルで、自ら競馬を愛好する大橋巨泉さんの発案で始まった。
取材/文・鈴木隆祐
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