
ホームランを確信した瞬間の大谷翔平を演じるミニタニ(写真・保坂駱駝)
大谷翔平の全試合観戦を続ける、ものまね芸人のミニタニが海を渡ったのは、2006年のことだった。
「世界一の国・アメリカで、コメディアンとして活動したかったんです。音楽では坂本龍一さんが、俳優としては渡辺謙さんが、そしてスポーツ界では野茂英雄さんが、アメリカで活躍の道を開きましたが、コメディアンではいなかった。その意味でも、パイオニアになる夢がありました」
渡米を決意してから、4年間で700万円を貯めたという。
「電気屋さんでバイトをしていたんですが、それだけじゃお金が貯まらない。休憩時間中、隣にあったパチンコ屋さんにふと入り、6000円を投入したら、それが8万円になったんです。『これで渡米資金が貯まるじゃん』と、通うようになりました。当時は、台で1週間分のデータを見ることができました。それを徹底的に研究し、出る台が分かってくると、勝てるようになって。出る台が埋まっていたら、あきらめてすぐに帰りました。だから、ビギナーズラックではありませんでした」
お金は貯まった。場所はロサンゼルスに決めた。あとは言葉。英語だけだ。
「中・高で英語はまともに勉強しませんでした。でも渡米する前は、何においても自信しかありませんでした。英語も、行けばしゃべれるんだと思い込んでいました(笑)。もちろん現実は違って、聞き取れないししゃべれない。最初は単語を並べるだけでしたが、こちらの人はちゃんと聞いてくれるし、相手のレベルに合った返しもしてくれる。だから、とにかく話そうと。近くのバーに行けば、明らかに定年を過ぎた年配の方がひとりで飲んでいる。話しかけると、彼らには時間があるから(笑)、町の歴史とか、いろんなことを話してくれます。そうやって英語を覚えました。だから、僕の英語は“路上英語”です」
言葉がしゃべれるようになると、コメディハウスにも顔を出すようになった。ステージに立つことを希望し、指名されればマイクを持って“芸”を披露することを許された。実践を重ねるうち、現地のエンタメ関係者と知り合い、オーディションで合格するようにもなっていった。
渡米から7年めの2012年、日本のあるスーパースターが、テキサスの地を踏もうとしていた。日本球界で無双状態を続けていた、ダルビッシュ有だった。
「顔が似ているとよく言われたため、『ミニビッシュ』として活動を始めていました。初キャンプに行くと、驚いたことに、日本から報道陣が200人以上も訪れていて。でも、ダルビッシュさんは1年めですから、まずは自分の身のまわりのことで精いっぱいで、取材対応がなかなかできない様子で。そんなとき、全身をレンジャースのユニホームに身を包んだ小柄な人間がいるわけですから、日本の報道陣が『何者だ?』と取り囲むわけです。ものまねも披露しましたよ。それで、僕の存在が日本でも知られるようになったんです」
すぐに「ダルさんを追いかけよう」と決めた。しかしそれは、リスクとの戦いでもあった。
「シーズン中、僕の住んでいるロサンゼルスからテキサスまで、当時、飛行機代が往復で10万円くらいしました。しかもダルビッシュさんは1週間に一度くらいの登板でしたが、アクシデントが起きて登板日がずれ込むことがありました。そうなると延泊しなければいけないし、なんなら登板を飛ばすこともある。現地に行っても、見られないリスクがけっこうあったんです。当時は、まだSNSやYouTubeが盛んではない時代だったので、活動を発信する機会も少なく、出費は200万円を超えていました。お金を使って収穫なしで帰ってくることも多かったので、追っかけは断念しました」
ところが2018年、100年に一人の逸材が、ミニタニの住むロサンゼルスにやってきた。
「大谷さんが海を渡ってきたころは、SNSやYouTubeが盛んになり始めていたので、発信に問題はありませんでした。そこで、YouTubeの企画で『全米30球場に行ってみたい』『全162試合、現地で見たらどんな気持ちになるのか』をやってみようと。大谷さんは二刀流で毎日、試合に出るからこそ、挑める企画です。2022年シーズンから、162試合すべてを現地で見ることを始めました」
ただ、いくら大谷が二刀流といえどもリスクは存在した。
「今季でいえば、大谷さんが父親リストに入ったときや、シーズン終盤に休養を取ったときです。それでも僕はスタジアムにいました。これまでもっともきつかったのは、2023年9月4日に右脇腹を痛め、その後、25試合連続で欠場してシーズンを終えたときでした。僕は162試合すべてを現地で見る目標を立てていたので、大谷さんが試合に出ないと分かっていても行きました。そのときは、二枚看板のトラウトも怪我でおらず、『俺はいったい何をやっているんだ』と落ち込みましたね」
エンゼルス時代は年間162試合を2年連続で、ドジャースに移籍すると、162試合に加えポストシーズン(PS)もあるので、4年で700試合近くを現地で見たことになる。当然、お金も使った。
「チケット代を安く抑えるため、シーズンチケットを買いました。これはエ軍の2年間、ド軍の2年間ともそうでした。
エ軍については、チケットを安くして、いろんな人に来てもらう戦略なんです。シーズンチケットは82試合で900ドル(約14万円)なので、1試合にすれば約1700円。絶対にお得です。しかも、エ軍はチケットが比較的、手に入りやすいチームのため、名門・ヤンキースの本拠地でもチケット価格が抑えられることがあるんです。
ところがド軍となるとそうはいきません。シーズンチケットはエ軍の4倍で、3600ドル(約56万円)で、1試合約6800円です。ビジターに行っても、ド軍のチケットは人気球団だけに高くなります。そこは覚悟しなければいけません。
また、ビジターでの試合にはシーズンチケットは使えませんから、MLB公式サイトや、公認されている転売サイトから買います。しかも5社くらいあるので、こまめにチェックし、安いところから買うわけです」
結果、両チームに使った金額には大きな開きがあった。
「エ軍では250万円くらいでしたが、ド軍では350〜400万円くらいでした。シーズン中のチケットの価格が違ったのはもちろんですが、ド軍はPSもあり、ワールドシリーズ(WS)では超高額になりますから。
2024年のド軍対ヤ軍は、東西の王者がじつに43年ぶりに相まみえたため、“究極の戦い”と、いやが上にも盛り上がりました。3〜5戦までがヤンキースタジアムでおこなわれ、この3戦で使ったのは計55万円ほど。ド軍が勝って喜んだけど、これ以上、チケットを買わなくて済むと、ほっとしたことも覚えています(笑)。2025年のWSもさまざまなドラマがあったし、7戦までもつれましたから、最後のトロントでの2戦では、チケットや旅費を合わせて約66万円使いました。ちなみに、WSのビジター戦も、転売サイトがあるので、手に入らないことは絶対にありません。もちろんお金次第ですが……」
両球団ともにカリフォルニア州に本拠を置くため、飛行機代、宿泊代は変わらないが、買い方にはコツがあるという。
「宿泊はドミトリー(相部屋)スタイルのホステルがお勧め。また、飛行機のチケットは深夜便や早朝便が安くなっているので、そこを狙います」
では、観戦のために使うお金はどうやって捻出しているのか。
「YouTubeの収入です。月収は最高で100万円を超えたこともあります。あとはテレビへの出演料です」
そうした活動も、2026年で“卒業”するという。
「辞めようと思ったきっかけは、じつは延長18回までもつれ込んだWS第3戦でした。“6時間39分の死闘”と巷ではいわれていますが、私事で申し訳ありませんが、私はYouTubeの仕事や取材のため、試合開始の4時間前からスタジアムに入り、試合もすべて見ました。しかも終了後は、動画を編集し、寝たのは朝でした。ですから、私の“死闘”は11時間以上、続いたんです。さらに翌日も、試合開始3時間前に球場入り。ロサンゼルスでの3日間はずっと頭痛を抱え、倒れそうになりながら観戦していました。
年々、移動、時差、気温の変化などにより、体に蓄積されるものが多くなってきました。そうした要因から、来年で一区切りにしようと。僕は来年で50歳になりますが、大谷さんとド軍の契約はまだ8年あります。それを続けたら、僕も60歳に届く年になってします。人生のなかでやりたいこと、働くこと、夢をかなえることを考えたとき、あと10年くらいしかない。もし大谷さんの試合をすべて見続けたら、それこそ殿堂入りするぐらいの快挙だし、名を残せると自分では思っています(笑)。でも、僕が最初にアメリカに行こうと決めた理由は、それではない。エンタメの世界でアメリカンドリームをつかみたくて来た。その夢をかなえる挑戦すらしなかったら、人生を振り返ったとき、きっと後悔するなと思ったんです。
また、2024年にロサンゼルスでお寿司屋さん『Mori Nozomi』をオープンしました。握る板さんは女性です。実力のある方で人気に火がつき、わずか1年で『ミシュランガイド』で一つ星を獲得しました。女性の寿司職人がミシュランで星を獲得するのは、米国で初の快挙です。今後はお寿司屋さんのプロデュースにも注力しつつ、お店のブランド力を生かし、たとえばソースや醤油を作ったり、あるいは、まな板などキッチン用品を作って世界に向けて販売したい。ひとつ100ドルでネット販売すれば、1000万人が買ってくれたら1000億円ですよ。実現すれば大谷さんがド軍と結んだ1000億円契約に並びます。これを人に話すと、みんな鼻で『ふん』と笑いますが、僕には絶対にやれる自信しかないんです(笑)。かつての根拠のない自信が、また生まれてきているんです」
2026年、大谷は日本代表としてWBC連覇、ドジャースとしてWS3連覇の偉業に挑む。それを見届けた暁、“小さな大谷”も新たな扉を開くことになるだろう。
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