
横浜DeNAベイスターズの球団事務所で対談する三浦前監督と相川(写真・福田ヨシツグ)
デビュー30周年イヤーを記念して贈る歌姫・相川七瀬(50)の「BIG BANG対談」。第7回の相手は、5年間指揮を執った横浜DeNAベイスターズの監督を退任したばかりの三浦大輔氏(51)。 “ハマの女神” と “ハマの番長” の激アツトーク。いざ、プレーボール!
相川 監督、5年間お疲れ様でした。
三浦 前監督だけどね(笑)。
相川 そうでした(笑)。退任発表からまだ日にちがたっていないので、つい「監督!」って呼んじゃうんですよね。
三浦 ははははは。
相川 では、あらためまして。三浦前監督、5年間本当にお疲れ様でした。
三浦 相川さんとは一緒に餅つきをしたり、コンサートに行かせてもらったり、家族を含めた長いつき合いで、こうして仕事として会うのは初めてだから、どうリアクションしていいかちょっと困る感じもするけど……でも、ありがとうございます。
相川 三浦さんの家でもんじゃ焼きをご馳走になったこともありましたよね。
三浦 あった、ありました。家のカラオケルームで、相川さんが歌ってくれたこともあって、家族はもちろん、ママ友もみんな大興奮で、拍手喝采でした。
相川 三浦さんとは長いおつき合いで、その間たくさんお話をさせていただきましたが、監督就任1年めにお会いしたとき、「よく眠れないんだよね」とおっしゃっていた言葉がすごく記憶に残っているんですよね。
■監督を引き受けるとき決めたふたつの約束事
三浦 自分自身、監督になっていちばん驚いたのがそれでしたね。ナイターが終わって、次の日に備えて早めにベッドに入って、ぐっすり寝た感じで起きるんだけど、時計を見たらまだ夜中の2時、3時で。そこからもう一回眠れる日もあれば、目が覚めちゃって眠れない日もあって。5年間、ほぼほぼそんな感じでした。
相川 三浦さんはお酒を飲まないから、ガーッとお酒を飲んで……ということもできないですしね。
三浦 そうなんですよね。選手のときは、相手チームのバッターにめちゃめちゃ打たれて、イライラしたりはしていたけど、ストレスで寝られないということはなかったですからね。
相川 私たちベイスターズファンは、監督や選手は一喜一憂しないと思いながら応援していますけど、それ以外……マスコミを含めた外野の人たちが、いろいろ批判めいたことをあれこれ好き勝手に言ってきますしね。
三浦 まぁ、そこはね。しようがないかなと(苦笑)。
相川 いやいや。ファンからすれば、それはないんじゃない!? ということがたくさんあって。報道の皆さんも、きちんと反省してくださいねと言いたいです(笑)。もっと、長い目で見ましょうよ! と。
三浦 ははははは。
相川 ご家族も巻き込むわけですから。そこは大変だったと思います。
三浦 確かに、そういうことが聞こえてきたり、目に入ってきたりするなかで、家族もストレスはあったと思うけど、それでも、ずっと一緒に戦ってきてくれて感謝しています。
相川 重圧から解放されて、今はよく眠れています?
三浦 おかげさまで、毎日朝まで熟睡しています(笑)。
相川 ははははは。それは、よかったです。
三浦 人ってこんなに眠れるんだというくらい熟睡を味わっていますよ(笑)。
相川 人それぞれだと思いますが、監督を引き受けるときの覚悟と退くことを決めたときの覚悟、三浦さんはどっちがより重かったですか。
三浦 受ける覚悟のほうがはるかに重かったですね。
相川 引き受けると決めたとき、大事にしようと思ったことは?
三浦 ふたつあって、ひとつはコミュニケーションを大切にすること。監督に就任して最初に選手に言ったのは「全員がチームなんだから球場職員、守衛さん、裏で支えてくれるスタッフのみなさん……DeNAベイスターズに関わるすべての人に挨拶をしよう」と。
相川 「おはようございます」「お疲れ様でした」「ありがとうございます」……挨拶は基本中の基本ですからね。で、もうひとつは?
三浦 ベンチを見て試合をしてほしくないということです。「ミスした次の瞬間、 “監督は怒っているだろうな” とか、 “もう使ってくれなくなるんじゃないか” とか、そういうことは思わなくていいから」と。「俺たちはチームとして戦っていて全員味方なんだから、試合に集中してほしい」というのは言いましたね。
相川 私たちファンも同じです。試合に負けたらがっかりもしますけど、でも基本的には、ファンは全員、選手の味方です。
三浦 全員が戦う相手をしっかりと見て同じほうを向いて戦っていきたいということは、監督1年めのキャンプ初日のミーティングで言いました。
相川 ベテラン選手、新人選手、外国人選手……性格も考え方もそれぞれ違う人たちの集まりのなかで、一人ひとりの選手とはどうコミュニケーションを取っていたんですか。
三浦 どうだろう!? 声をかけるタイミングとかはありましたけど、あまり神経質にはならないように、ですね。
相川 たとえば?
三浦 練習中は邪魔にならないようにとか、前日の試合でエラーをした選手には「今日は頑張れよ」とかですね。
相川 やはり、それでチームは変わりました?
三浦 変わりましたね。特に1年めは最下位と苦しんだなかでも、全員が大きな声で挨拶をして、戦う相手を見て試合をしたことで、2年めが2位で、3年めは3位。4年めは3位から日本一になって、最後のシーズンが2位。リーグ優勝できなかったことが唯一の心残りですが、充実した5年間でした。
■まずはリーグ優勝、そして日本一
相川 今振り返って、三浦さんらしい野球というのを言葉にするとしたら、どんな言葉になりますか。
三浦 なんだろうね。選手、コーチ、スタッフと分け隔てなく話をしたことかな。正直な話、自分のアイデアなんて小っちゃなものだから、それを押しつけるよりも、最後は俺が責任を取るから、みんなでアイデアを出し合って、これでいこうよと決めて、みんなで戦っていけたことが、結果に結びついた感じです。
相川 退任会見では「死ぬまで野球からは離れられないですし、離れたくないです」とおっしゃっていましたけど、次はもう決めているんですか。
三浦 次!? いやいやいや。まだ辞めたばかりだから、とりあえずはゆっくりしようかなと。
相川 いつかWBCの日本代表監督をやってみたいとか?
三浦 ないないないない。1mmもないです。思ったこともないです。日本代表監督なんて、それこそプレッシャーで死んじゃいますよ(苦笑)。
相川 最後に、もうひとつだけ聞いていいですか。三浦前監督からバトンを引き継いだ相川亮二新監督が就任会見で、三浦さんがいつも言っていた、当たり前のことを徹底的におこなう “凡事徹底” という言葉を使われていましたけど、そういうのって、会見前に話し合ったりするんですか。
三浦 しないですよ。話したのは、「自分が思ったとおりにやったほうがいいよ」ということくらいです。ずっと一緒にやってきたけど、シーズン中、 “俺だったらこうする” と思ったことが絶対にあるはずなんです。来季はそれを貫いて、今年果たせなかったリーグ優勝をしてほしいですね。
相川 1998年以来、27年間遠ざかっているリーグ優勝は、ファンの夢でもあります。
三浦 前監督という立場なので好きなことを言わせてもらえば―まずはリーグ優勝。そして日本一ですね。
相川 そのために、相川七瀬も “W相川” として精いっぱい、応援させていただきます。
三浦 前から思っていたんだけど、相川さんがスタンドにいたら目立ちますよね?
相川 ですね。まわりの方からは、 “女神” と声をかけていただいています(笑)。
三浦 しかも、こっちが仕事は大丈夫なのかな、と心配になるくらい球場に足を運んでくれて。
相川 昨年と今年は控えめにしていましたけど、一昨年はおっしゃるように、まぁまぁ仕事に支障をきたしていました(苦笑)。
ーー来季は、 “ハマの番長” と “ハマの女神” が、スタンドに並んで応援する姿が見られそうですね。
相川 いいですね、それ。
三浦 いやいや。俺は完璧にプライベートで、こっそり観に行こうと思っているんだけど……(笑)。
相川 それはダメです。メガホンを片手にスタンドに並んで、一緒にベイスターズを応援しましょう。
三浦 わかりました……。前向きに検討させていただきます(笑)。
あいかわななせ
1975年2月16日生まれ 大阪府出身 1995年『夢見る少女じゃいられない』でデビュー。その後もヒット曲を数多く世に送り出し、現在までのCDのトータル売り上げは1200万枚を超える。2020年に國學院大學神道文化学部を受験し合格。卒業後、同大の大学院に進む。11月8日、ミニアルバム『FIREWORKS』をリリース、2026年11月2日、30周年ツアーファイナルとして日本武道館でのライブが決まっている
みうらだいすけ
1973年12月25日生まれ 奈良県橿原市出身 1992年から2016年までの25年間、横浜一筋でプレー。535試合に登板し、172勝をあげる。引退後は2017年から2年間、球団スペシャルアドバイザーを務め、2019年は一軍投手コーチ、2020年は二軍監督を務め、2021年から一軍の監督に就任し、2024年シーズンには、26年ぶりとなる日本一に輝く
写真・福田ヨシツグ
ヘアメイク・RYO(相川)
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