芸能・女子アナインタビュー

【織田ファミリー・相川七瀬×小室ファミリー・hitomi】初めて明かされる大ヒット秘話「『夢見る少女じゃいられない』が売れたのはhitomiちゃんのおかげ!」

インタビュー 記事投稿日:2026.03.07 06:00 最終更新日:2026.03.07 06:00

【織田ファミリー・相川七瀬×小室ファミリー・hitomi】初めて明かされる大ヒット秘話「『夢見る少女じゃいられない』が売れたのはhitomiちゃんのおかげ!」

ほぼ同時期にデビューした2人だが、対談は初めてという(写真・福田ヨシツグ)

 

 デビュー30周年を記念した相川七瀬(51)の「BIG BANG対談」。LUNA SEAのボーカリスト “RYUICHI” こと河村隆一に続く第9回のゲストは……『CANDY GIRL』『LOVE 2000』など数多くのヒットナンバーを持つ、アーティストのhitomi(50)。

 

 PUFFYの吉村由美(第1回)、Every Little Thingの持田香織(第5回)、“ヤイコ”こと矢井田瞳(第6回)らとともに、同じ時代を走り抜けてきた相川とhitomi。2人の女性ソロシンガーによる初の対談が、ついに実現した!

 

――年齢は相川さんがひとつ上。デビューは逆にhitomiさんのほうが1年先輩。レコード会社は、お2人ともエイベックスです。

 

相川 hitomiちゃんとは同じエイベックスなんだけど、シマが違うから、ほとんど交流はなかったよね。

 

――そうなんですか?

 

hitomi(以下、h) どう言ったらいいんだろう!? 同じ学校なんだけどクラスが違うというか、文系と理系に分かれているというか……そんな感じがあったんですよね。

 

相川 小室(哲哉)さんがプロデュースしているアーティストが1班だとしたら、織田(哲郎)さんとか外部のプロデューサー組が2班みたいな、そんな感じかな。

 

h 私はTRFさんとか、globeさんと同じ班で――。

 

相川 私は、安室(奈美恵)ちゃんやV6と同じ班。しかも、hitomiちゃんとは、新曲のリリースタイミングも重なったことがなかったような気がする。

 

h 確かに。リリースのタイミングが一緒だったらテレビの歌番組とかで一緒になるのに、七瀬ちゃんとはないかもです。

 

相川 私も……記憶にないから、たぶんないんだと思う。初めて会ったのは、hitomiちゃんがTOKYO FMでやっていたラジオ番組にゲストで呼んでもらったときじゃなかったかな。

 

h えっ、そうだっけ? 私はエイベックスが青山にあったとき、隣のビルに入っていたスポーツジムだと思ってた。

 

相川 あそこのジムには、エイベックスのみんなもけっこう来ていたもんね。

 

h ELTのもっちー(持田)とか。

 

相川 来てた、来てた! トレーニング中に会うと「おーい!」って手を振り合ってた。

 

h 七瀬ちゃんと初めて会ったのはそのジムのロッカールーム。どれくらい練習してるの? みたいなことを聞かれた記憶があるんだけど、違うかな?

 

相川 そうだっけ? それも覚えてない(笑)。

 

h だよね(笑)。

 

■やけに不良っぽいのが来たぞ、みたいな(笑)

 

――お2人はプライベートでちょいちょいお会いになっていると伺いましたが、これまでこういう対談は?

 

相川 ないよね?

 

h ないです。(中村)あゆみさんとか、(土屋)アンナちゃんとか、みんなでお酒を呑みながら、あーでもない、こーでもないという話はするんですけど……。

 

相川 みんな、それぞれ自分が言いたいことを言って、誰も人の話を聞いていない(笑)。

 

h そうそう。だからこうやって七瀬ちゃんと向き合って真面目な話をするのは、なんかへんな感じがするんですよ(笑)。

 

――hitomiさんは、相川さんがデビューしたときのことを覚えてますか?

 

h もちろんです。『夢見る少女じゃいられない』のテレビスポットの数がとにかくすごくて。テレビをつけたら七瀬ちゃんの『夢見る』が流れている感じでしたから。エイベックスの力の入れようが、もうすごかった。

 

相川 確かにそうかもしれないんだけど。hitomiちゃんが思っているのとは、ちょっと違うかも。

 

h えっ!? そうなの?

 

相川 そう。そうか……ついにこれをhitomiちゃん本人に言うときがきたのか……。

 

h 何? 何? 私に関係があるの?

 

相川 hitomiちゃんの5枚めのシングル『Sexy』の発売日がずれたでしょう?

 

h そうだっけ?

 

相川 そう。事情はわからないんだけど、『Sexy』の発売日がずれたことで、hitomiちゃんのために押さえていたテレビスポットの枠が全部空いてしまって。

 

h それって、初めて聞く話です(笑)。

 

相川 で、初週で振るわなくて、オリコン圏外になっていた『夢見る』にまわってきたという。だから、『夢見る』が売れたのは、hitomiちゃんのおかげでもあるんです。本当に、その節はたいへんお世話になりました(笑)。

 

h いやいやいや。そんな裏事情があったというのも知らないし、あったとしても、それは私のおかげじゃないし(笑)。私が覚えているのは、七瀬ちゃんの『夢見る』がひたすらテレビスポットで流れていて、それを見ながら“なんか、新しいのが来たぞ”と思った、ということですから(笑)。

 

相川 違う種類の生き物が来たぞ、みたいな(笑)。

 

h そう。なんか、やけに不良っぽいのが来たぞ、みたいな(笑)。

 

相川 あはは。

 

h 小室ファミリーが音楽シーンのど真ん中にいた時代に、不良のニオイをさせた七瀬ちゃんがポンと入ってきたことで、異色感がものすごくあったんですよね。

 

相川 ディスコサウンド全盛の時代に、ロックですからね。でも、私のことを不良っぽいと言うhitomiちゃんも、相当尖ってたでしょうよ?(笑)

 

h はい、尖っていました。幼少期から、大人は嘘つきで信用できないと思っていたから、まず絶対に目を合わせないとか……。チョー尖っていましたね(苦笑)。

 

相川 『CANDY GIRL』とか『Sexy』とか、私には絶対に書けないような詞を書いていて。頭の中でこんな人かなと、自分なりに想像していたんだけど、本物のhitomiちゃんはそのイメージどおりに尖っている人で、嬉しかったのを覚えているんだよね。

 

h 褒められているのかどうか、ビミョーなところだけど……。でも、七瀬ちゃんも相当尖っていましたよ。そうか、この人は “夢見る少女じゃいられない”人なんだなぁって思いましたから。

 

相川 あはは。ただ、私にしろ、hitomiちゃんにしろ、本人にその資質があったのは否定しないけど、尖っていないとやっていけない時代だったというのもあるし、お互いにソロだったというのも大きかったと思う。

 

h 私の場合は、小室さんのもとを離れてセルフプロデュースするようになってから、特にその傾向が強くなったような気がします。

 

相川 小室さんから離れたのはいつだったっけ?

 

h 1998年の前半かな。

 

相川 hitomiちゃんがデビューしたのは1994年11月だから……そうか、そんなに早かったんだ。

 

h で、セルフプロデュース1作めから、曲を書く人がいないから自分で作れと無茶ぶりをされて。言われたときは、一瞬にして凍りつきましたけどね。

 

■人生はすべてギャグだと思わないと……

 

相川 で、書いたの?

 

h はい。楽器はできないから鼻歌を歌って、それを録音して。

 

相川 噓!? マジで?

 

h マジです。当時は、半分泣きながら曲を書いていました(苦笑)。

 

相川 すごいね。でも見方を変えると、それをやれちゃうところが、hitomiちゃんのすごさだと思う。

 

h いやいやいや。何言ってんだろう? と思いながら、そこからギターを習い始めて、コードを勉強して。ただただ、必死だっただけですから。

 

相川 それで、『LOVE 2000』のような、聴く人の心に届く歌をたくさん作ってきたんだから、やっぱりhitomiちゃんはすごい!

 

h 当時は、聴いてくれる人の心に届けようとか、そんなことも考えられないくらい、ただもう必死でしたけどね。ジャケットのコンセプトや、どうプロモーションするのかも考えなきゃいけないし……これまで、小室さんやまわりのスタッフがどれだけ大変だったのかを思い知らされました。

 

相川 いなくなって、初めてその人たちのすごさがわかるというのは私も同じで。hitomiちゃんにとっての小室さんが、私にとっては織田さんだったからね。

 

h 今だから言えますけど、当時は七瀬ちゃんと織田さんの関係がちょっと羨ましかったんですよね。

 

相川 そうなの?

 

h 小室さんはたくさんのアーティストのプロデュースをされていたから、自分でアピールして曲を作ってもらう……みたいなところがあって。でも、七瀬ちゃんと織田さんは1対1。それが羨ましかったんですよね。

 

相川 ウチはちょっと特殊だからね。織田さんとは、最初からプロデューサーとアーティストという仕事上の繋がりじゃなかったから。

 

h お父さんと娘みたいな感じ?

 

相川 10代のころはそんな感じでしたね。それから師匠と弟子になって。たまに、兄と妹みたいなときもあるんだけど、言いたいことを心から言い合える関係になって――。

 

h 今は?

 

相川 パワーバランスが逆転して、今は私のほうがなんか強くなっちゃったかな(笑)。

 

h さぁやるわよ、みたいな?

 

相川 そうそう。織田さん、しっかりしてくださいね、みたいな(笑)。

 

h 今も織田さんと一緒にライブをしているじゃないですか。そういうのを見ると、いいなぁって思うんですよね。

 

相川 さっきhitomiちゃんが「大人は嘘つきで信用できないと思っていた」と言ったけど、それは私も同じで。そのなかで、唯一信用できる大人が織田さんだったんですよね。

 

h 織田さんのどの部分が信用できたんですか?

 

相川 14歳のときに出会ったんだけど、みんなに対して平等で、いつもフラットでフランク。それは、どこの田舎の娘かわからない私に対しても同じで、ちょっとした悩み事を電話で相談しても、1時間でも2時間でもつき合ってくれたんですよね。

 

h 七瀬ちゃんもすごいけど、織田さんはもっとすごい。

 

相川 だよね。私もそう思う(笑)。小娘相手に真剣に話を聴いてくれて、否定することは絶対にしない。しかも織田さんの話って、カウンセリングチックで論理立てて整理してくれるから、話しているうちに自分の考えもまとまってくるんですよ。

 

h それって、最高じゃないですか。

 

相川 そう。そうなんだけど……それでも、たまに喧嘩しちゃって(笑)。hitomiちゃんは、今信用できる大人はいるの?

 

h う~ん、信用できる大人か……。半信半疑……いや、いまだにいないかもです。だからというわけじゃないけど、自分が信用される大人にならなきゃとは思っています。

 

相川 難しいけどね。

 

h 年齢を重ねたぶん、その人の背景も見えるようになって。あぁこの人も大変なんだろうなとか、頑張っているんだよなとか、世の中こうだからしょうがないよなとか、いろいろと思うところはあるんですけど、信用される大人になるというのは難しいですね。

 

相川 お互いもう、五十路。どういう50代でいたいとか、そういうのは考えてる?

 

h 歌えるなら歌っていたいと思います。ただ20代、30代のころのように、無理をしてでもというのはなくて、やれる範囲で、ですね。それよりも、まずは自分。頑張らず、自分を大切にして、ゆるく生きていきたい。七瀬ちゃんは?

 

相川 今はまだ、無理できる気力も体力もギリ残っているから、物事をおもしろがれているうちは、やれるところまでやろうという感じかな。

 

h 人生はすべてギャグだと思わないと、つらすぎて耐えられなくなりそうなときもあるから、おもしろがるというのは大事かも。

 

相川 大事、大事。

 

h ですよね。私もおもしろがれるように頑張るから、七瀬ちゃんも――。

 

相川 うん、頑張る。お互い、頑張ろうね!

 

あいかわななせ
1975年2月16日生まれ 大阪府出身 1995年『夢見る少女じゃいられない』でデビュー。その後もヒット曲を数多く世に送り出す。2020年に國學院大學神道文化学部を受験し合格。卒業後、同大の大学院に進む。2026年11月2日、30周年ツアーファイナルとして日本武道館でのライブが決まっている。現在、相川七瀬30周年を記念したオールタイムベストアルバム『Rock 'N' Roll Journey~30th Anniversary Best~』が発売中!

 

ひとみ
1976年1月26日生まれ 雑誌「Fine」のモデルを経て、1994年11月に、小室哲哉プロデュースの『Let’s Play Winter』で歌手デビュー。『CANDY GIRL』『LOVE 2000』『SAMURAI DRIVE』など数多くのヒット曲を持ち、多方面で活躍。3月28日、東京・渋谷「duo MUSIC EXCHANGE」にて『hitomi Live 2026-STAND BY-』を開催予定

 

写真・福田ヨシツグ
取材&文・工藤 晋
ヘアメイク・久保フユミ(相川)、松田美穂(hitomi)

12

出典元: 週刊FLASH 2026年3月17日号

著者: 『FLASH』編集部

芸能・エンタメ一覧をもっと見る

今、あなたにおすすめの記事

関連キーワードの記事を探す