
8月15日の新日本プロレス両国国技館大会で引退する天山広吉(写真・保坂駱駝)
「35年間のプロレスラー人生、長いようで短かったというか、ホントはもうちょっとやりたかったところなんですけれども、コンディション的に、お客さんに満足してもらえるような試合がちょっと難しくなってきたんでね……。ケジメとして、今回、引退を決意しました」
主に1990年代後半から2010年代の新日本プロレスで、長きにわたって一線で活躍。IWGPヘビー級王座を筆頭に、IWGPタッグ王座など数々のタイトルを獲得するとともに、そのパワフルなファイトぶりでファンからも愛されたプロレスラー天山広吉が、2026年8月15日の新日本プロレス両国国技館大会で引退する。
天山こと山本広吉が新日本に “正式に” 入門したのは、1990年5月。しかし、天山はそれ以前に1度、新日本に入門するも、1日で逃げ出した過去があった。
「1990年3月に、1度入門してるんです。高校卒業後に京都から単身で上京して、当時、山本小鉄さんが主宰していた『プロレス学校』でトレーニングを積んでから、入門テストに合格して。
入りたくて仕方なかった新日本プロレスだったのに、2日めに衝動的にやめちゃったんですよ。練習がキツかったとかよりも、いろいろあって、この世界はちょっと違うのかなって思ってしまったんです。ホームシックもあったし。
やめるときって、そのまま何も言わないで夜逃げみたいな形で逃げる人が多いんですけど、ちょっとでもお世話になったから挨拶だけでもと思って、橋本(真也)さんには言ったんですよね。
それで、入門2日めには京都の実家に戻ったんですけど、日に日に後悔の念が出てきてね……。しばらくしてから意を決して、山本小鉄さんに連絡して『もう一度チャンスをいただけませんか?』と。そしたら、山本さんも『オッケーわかった。頑張れ。2度と逃げるなよ』と言ってくださって、再入門を許してもらったんです」
3月に入門し、京都の実家に戻っていた翌4月に入門してきたのが、西村修と小原道由だった。1日でも早く入ったほうが先輩となる絶対的な縦社会であるプロレス界において、本来なら山本は、2人の先輩だったはずなのだが……。
「ホント運命の悪戯というか、1度自分がやめてしまったことで、先輩後輩が逆転したんですよ。たった1カ月なんですけどね(苦笑)。西村さんはプロレス学校の同期で仲もよかったんですけど、小原さんは国士舘大学の柔道部出身で歳も3つ上。この小原さんが、当時、自分にめっちゃ当たりがキツかったんですよね。いろんなことでとにかくこき使われたりして……。でも、いまとなっては、ひとつ感謝していることがあるんです」
天山広吉といえば「猛牛」のニックネームが定着しているが、よくも悪くも、天山になる前の山本が猛牛キャラとなるキッカケをつくったのが小原だった。
「ある日、突然、小原さんが自分に『お前、なんか牛に似てるよな』とか言ってきたんですよ。『牛だから、ギュウ山にするか。山ギュウかな?』とかワケわかんないこと言ってて、内心は『なに言ってんだ?』と思ったんですけど、それからもずっとギュウギュウ言うし、『牛に似てるから、牛のマネしろよ』とか言われたりね。
そういうキッカケがあって、徐々に自分も牛をトレードマークにした感じになっていったんですよ。だから、あの人が『お前、牛に似てるな』って言ってなかったら、もしかしたら猛牛キャラじゃなかったかもしれないですよね」
出戻りで再入門を許されたものの「そこからは地獄のような日々だった」と、苦笑しながら振り返る。新日本の若手は道場と併設する寮で暮らすのが慣例だが、寮生活で先輩からの「度を超えたイタズラ」にはたびたび悩まされた。なかでも語り草となっているのが、天山が付き人をしていた橋本真也とのエピソードだ。
「付き人というか、もう家来みたいな生活でしたよ(苦笑)。当時、橋本さんは道場でよく練習されていたんですけど、練習が終わってもずっとテレビ観てたりして、なかなか帰らないんですよ。
だから、自分はずっと部屋にも戻れないし、ちゃんこ番だったり電話番だったりすると、ずっと下にいなきゃいけないんで、気が休まる暇がないんですよ。
あるときなんて、橋本さんがエアガンで撃ち落として調理したスズメを食べさせられて、翌日から体調不良に陥りまして。せっかく100キロ近くまで増やした体重が10キロ減りましたからね。もうメチャクチャですよ」
日に日に痩せていく姿を心配した西村修から「目黒の寄生虫館で調べてもらったほうがいい」と言われた天山が、同館に電話して「一度、調べてほしい」と相談したところ、「うちは病院じゃないんで」と断られたそうだ。
「ほかにも、いろいろありますよ。ある日、先輩たちに日本酒で泥酔させられて寮のベッドでダウンしていたら、ライガー(獣神サンダー・ライガー)さんが自分の股間の先にアンメルツを塗ったみたいで……。その激痛で飛び起きたこともありましたよ。
すぐに水で洗いに行って『痛えー、なんだよこれ!』とか言いながら戻ってきたら、向こうでライガーさんがヒーヒー笑ってるんですよ。『ちょっとライガーさん、勘弁してくださいよ! なにやってんですか?』って言ったら、笑いながら『効いた?』みたいな。効いた? じゃないよって。
いま振り返ったら笑い話で済むかもしれないですけど、当時はもう本当に先輩からいろんな雑用は頼まれるし、そういうイタズラとかもあって、めっちゃキツかったですね」
そんな過酷な新弟子時代を乗り越え、1993年6月から海外修行に。1995年1月に凱旋帰国を果たすと同時にリングネームを天山広吉と改め、蝶野正洋らと「狼軍団」を結成。一気にブレイクを果たし、人気選手としての地位を確立していくことになる。
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