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「チャンステーマが流れるのは嬉しい」清原和博×渡辺久信が語る西武黄金時代…「寝ないで登板」「門限破り」12年ぶり“真相”激白!

インタビュー 記事投稿日:2026.08.08 06:00 最終更新日:2026.08.08 06:00

「チャンステーマが流れるのは嬉しい」清原和博×渡辺久信が語る西武黄金時代…「寝ないで登板」「門限破り」12年ぶり“真相”激白!

12年ぶりに再会した清原和博氏(左)、渡辺久信氏(写真・福田ヨシツグ)

 

「おお! キヨ!」

 

 元西武ライオンズ監督で、同チームの主力投手として活躍した渡辺久信氏は、12年ぶりの再会に思わずこう声を出した。相手は、プロ野球生活を西武でスタートさせ、“怪物スラッガー”として名を馳せた清原和博氏。

 

 今回は、1980年代後半から1990年代にかけてパ・リーグで黄金期を築いた西武ライオンズ時代のど真ん中にいた2人に、当時を振り返ってもらった!

 

■閑古鳥の球場に清原がファンを連れて来た!

 

 渡辺氏は、群馬・前橋工高から1984年、ドラフト1位でプロ入りした。その2年後に、甲子園を沸かせたPL学園高の四番として鳴らした清原氏が入団する。

 

渡辺 キヨは、甲子園のスターで有名人。どんなコかなと思ったけど、純粋なかわいい後輩だった。野球に対してはものすごく真面目に取り組んでね。

 

 キヨが入ってくるまで、パ・リーグの球場は閑古鳥が鳴いていたのよ。特にビジターの川崎、大阪球場はガラガラ。でも、彼が入団して、パ・リーグにファンを連れて来てくれた。チームも強くなり、さらにファンが来てくれるようになったよ。

 

――どんな先輩でしたか?

 

清原 思い出すのは、寮生活ですね。これはもう40年も前の話で“時効”だと思いますが、ナベさんが「タバコを吸いたかったら俺の部屋に来い!」とよく誘ってくれたんです(笑)。昭和の時代の話ですからね!

 

 それからは、ずっとナベさんの部屋にお邪魔して、「ああでもない、こうでもない」とお話させていただきました。

 

渡辺 寮の部屋は4畳半くらいしかなくて、タバコを吸うから空気が悪かった。今だと絶対にダメだよね。私もキヨも体が大きいから、昔の独身寮は部屋が狭くて居づらかったな。

 

清原 休みの日には「キヨ、行くぞ!」と声をかけてもらい、車であちこち買い物へ出かけながら“カバン持ち”していました。夜は一緒に、門限破ったりしましたね。

 

渡辺 東大和にある新青梅街道沿いのリンガーハットに、よく夜食を食べに行ったよ。

 

――おもに野球談議を?

 

渡辺 いえいえ。外ではそういうことは話しません。あの時代、われわれは「新人類」って言われて派手に遊んでいるように思われていたけれど、実際は、オンとオフがはっきりしていたんだなと。

 

 オフのときは野球の話はしない。一方で、試合中の集中力はすごくあったと思うよ。

 

清原 ナベさんはね、登板前夜は寝ないんですよ!

 

渡辺 いや、寝ないで投げるときもあった……みたいな感じだよ(笑)。いつもじゃないよ! 一度、寝ずに試合で投げて調子がよかったんだけど、また同じ調整で投げたら、今度はダメ……。

 

 でも、私がプロ3年め、キヨがプロ1年めのときは、とにかく自分が投げるときにホームラン打ってくれた。「そのうちキヨが打つだろうな」って思いながら投げていたよ。

 

清原 ふだんから、ナベさんとは本当に相性がよかったんで。試合でも、ちぎっては投げ、ちぎっては投げというタイプで、守りやすく攻撃に入りやすかった。

 

渡辺 投げるテンポはいいからね~。そのぶん、よく打たれたけれど(笑)

 

■「打たれっぷりがいい(笑)」「フライは…たまにやるんだよな(笑)」イジリ合戦勃発!

 

――渡辺さんから見た、清原さんは?

 

渡辺 野球ではイメージどおりで“怪物”だったよ。シーズンラストと日本シリーズには四番の重責を果たし、それ以外にもいろんな役割をこなしてくれた。イニングの先頭の打席では、とにかく出塁を目指す。「チーム打撃」もできたよね。

 

――清原さんから見た、渡辺さんは?

 

清原 ナベさんが投げるときは、絶対に勝つつもりでした。先輩を前におこがましいですけど、『勝たせたい』と思わせられるピッチャーでした。やっぱりね、打たれっぷりもよかったし(笑)

 

渡辺 撃沈っぷりがいいって?(笑)。たしかに、勝つときも負けるときも、はっきりしていたよね!

 

清原 ネチネチと投げるタイプじゃなかったんで。守りやすかったです。

 

――投手から見て、清原さんは信頼できましたか?

 

渡辺 キヨは、守備も信頼できたよ。肩もハンドリングもいいし、なおかつ一塁手として体が大きいうえに機敏に動ける。だから、内野手は安心して一塁へ投げられた。当時は打つほうが目立っていたけれど、守備力が高かった。ただフライは……たまにやるんだよな(笑)。

 

清原 西武球場で、落合博満さんとナベさんが対戦した試合で一塁を守っていたとき、落合さんが打球を高く打ち上げたことがありましたね。

 

 ナベさんの球は速いし、落合さんのスイングも速い。当時、僕はナイターの試合にあまり慣れてなかったし、さらにあんな高いフライなんて見たことがなかったんです。

 

 球を追いながら落下点に入ったつもりが、「あっ、ここじゃない」と振り返った瞬間、フェンスに激突して……。

 

渡辺 よく『珍プレー・好プレー』の映像に出てきたよね。上唇あたりを切ったよな。

 

清原 そのときにナベさんを見たら、「何やってんだよ……」って顔で呆れていました(笑)。

 

渡辺 マジで、すごい勢いで一塁側のフェンスにぶつかってったんだから!

 

――公私ともに過ごすなかで印象深いエピソードは?

 

渡辺 大した話なんてしてないって!(笑)

 

清原 僕が覚えているのは、ナベさんの体力。登板日は一日でブルペンを含めて200球ぐらい投げる。前日、あれだけ夜更かししていたのに、よく投げるな、さすがプロの投手だなと。ただただ、すごい馬力だと思っていました。

 

 しかも、1年を通じて先発で投げられていましたからね。今考えても、やっぱりすごいですよ。投手交代が続くと、野手もダラけてくるけど、ナベさんは投げ切ることが多かったですからね。

 

――もう1回、同じチームで戦えるならどんな野球をやりたいですか?

 

渡辺 たしかにキヨとは相性がよかったと思うし、やっぱり同じチームでやりたいよ。キヨは頼りになったし、期待に応えてくれた。また、豪快な野球をやりたいなっていうのはありますね。

 

清原 あのころは、野球をやっている時間よりも、寮で一緒に過ごした時間が長かったんです。自分は兄がいないんですが、ナベさんは寮生活からプロ野球選手としての姿勢まで見せてくれた、兄のような存在です。もう1回、あの時代が来たら嬉しいな。

 

■DH導入で、セ・リーグはどう変わるか

 

 一方で、「令和の野球」では、渡辺氏のような“完投型”の投手は珍しくなり、さらに2027年からは、セ・リーグでも指名打者(DH)制が導入される。戦術はどのように変わるのだろうか。

 

渡辺 私も、ヤクルトでプレーしてセ・リーグを経験したから、打席に投手が入ると投手としては楽なのはよくわかる。

 

 逆に打順に指名打者が入るパ・リーグは、打線の切れ目がない。だから、ここ10年を振り返ると、パ・リーグは先発投手が育ったよね。2~3点取られても、調子がよければ続投できる。

 

 セ・リーグの場合、エース級投手は別として、相手が勝っている場合は、試合途中で代打を送られていた。だから、終盤に投げる中継ぎ投手がタフになる。来年以降のセ・リーグは、先発投手が投げるイニング数が変わってくると思うね。

 

――DHは守備がないぶん、試合のリズムをつくるのが難しいともいわれます。

 

清原 両リーグを経験して思うのは、DHは、たしかに楽ですよ。打席がまわるまではベンチ内でウロウロして(笑)、たまにベンチ裏で素振りをして備えていればいいんで、その点はやりやすかった。ただ、ずっとスタメンで守備に入っていた選手は、最初は慣れないでしょうけどね。だって一試合4三振なら、1mも走りませんから。ベンチとの往復で、汗もかかない。やっぱり太りましたよ。カロリーを消費しないので(笑)。

 

■今も応援歌が使われているのは、本当に嬉しい

 

 西武はシーズン前半戦を貯金13の2位で折り返し、今も激しい優勝争いの渦中にいる。いよいよ後半戦。古巣への思いを聞いた。

 

渡辺 ライオンズファンって、すごく優しい。弱かった時代でも、最後まで応援してくれて、温かさを感じた。リーグ優勝して、クライマックスシリーズ、日本シリーズまで勝ち上がってほしいね。

 

清原 僕は、西武時代に流れていた自分の応援歌が今、チャンステーマとして使われていることが本当に嬉しく、感謝しています。あの曲がたくさん流れるように、選手は頑張ってほしい。中継を見ていても、やっぱり嬉しいもんですよ。

 

渡辺 われわれのプロ野球のスタートは、ライオンズ。いろんな球団を経験したキヨだって、やっぱり特別なチームだよな? 私も、いちばん初めに契約金もらって入ったライオンズが“故郷”なんです。今年は、ライオンズファンを思い切り喜ばせてほしいです。

 

“故郷”を愛するレジェンド2人の思いは、優勝を目指す若獅子たちへ受け継がれていく。

 

わたなべひさのぶ
1965年生まれ 群馬県出身 前橋工業高校卒業後、1984年にドラフト1位で西武入団。工藤公康、郭泰源らとともに主力投手として、NPB通算125勝。1998年、NPB引退後は、台湾でも活躍した

 

きよはらかずひろ
1967年生まれ 大阪府出身 PL学園高校時代は甲子園歴代最多の13本塁打を記録。1986年、ドラフト1位で西武入団。巨人、オリックスを経て2008年に引退するまでの通算本塁打は525本

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出典元: 週刊FLASH 2026年8月18日・25日合併号

著者: 『FLASH』編集部

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