
『STU48中村舞2nd写真集 舞風』より
チームにおける「エース」とは、どんな存在か。いかなる逆境に直面しても、諦めずに前を向き、メンバーを引っ張っていく人物——。それはスポーツの世界であれ、会社という組織であれ、あらゆるチームに共通する条件ではないだろうか。
瀬戸内エリアを拠点に活動するアイドルグループ・STU48にも今、頭角を現し、新たなエースになろうとしている者がいる。3月のシングル「好きすぎて泣く」でセンターを務め、8月27日に2nd写真集『舞風』を発売した中村舞さんだ。
2018年3月、ドラフト3期生としてSTU48に加入した中村さん。2019年2月発売のシングル曲「風を待つ」で初めて選抜入りを果たすと、そこから一度も選抜漏れすることなく歩みを重ね、2022年4月のシングル「花は誰のもの?」ではトライアングルセンター、そして2024年6月リリースの1stアルバムのリード曲「愛の重さ」ではセンターの座を掴んだ。グループでの活動にとどまらず、舞台や映画にも活躍の場を広げ、2026年8月には2作目となる写真集「舞風」を刊行するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いである。
こうしてキャリアだけを見れば、順風満帆な道のりに映るかもしれない。しかし本人は「常に自信がなくて、他のメンバーよりも劣っている気がしていた」と振り返る。悩みの絶えない日々の連続だったという。
さらに言えば、STU48に加入するまでは、数え切れないほどのオーディションに落選し、多くの挫折を味わった。だが、その時々の悔しさが反動となり、中村さんを現在のポジションにまで押し上げてきた。
グループになくてはならない存在となった中村さん。本人もグループ全体を見渡して行動するようになり、センター、ひいてはエースとしての自覚と責任感を持つようになったという。STU48の中でひときわ輝きを放つ、中村舞の素顔に迫った。
●盟友・石田千穂の助言
7月26日夜、東京・有楽町のヒューリックホール東京。この日は「STU48 Live Tour 2026」の東京公演が行われていた。ライブも終盤に差しかかり、「愛の重さ」のイントロが流れると、他のメンバーに囲まれたセンターの中村さんの表情が一変する。数拍間、全員が円形になって踊り、Aメロに突入するところで密集した隊列が外側へと広がっていく。中村さんは儚さや脆さを滲ませながらサビのパートを歌い上げる。一糸乱れぬフォーメーション、確かな一体感。実に洗練されたパフォーマンスだった。
ここ最近のステージ上の中村さんからは、力強いパワーを感じる。それでいて楽しそうな顔つきで、躍動感にあふれている。本人にその印象を伝えると、こう答えた。
「特に意識はしていなくて、自然と。ただ、オーラを出そうとは思っています」
オーラとは何なのか。
「これ、言葉で表すのは難しいんですけど、前に(石田)千穂ちゃんとオーラの出し方について話したことがあって、目や姿勢、あとは気持ちで出すんです。4年ほど前のライブで千穂ちゃんに『ソロで歌う時に緊張するんですよね』と相談したら、スーパースターになった気持ちで歌った方がいいと言われたんです。それ以降、そうしたオーラを出そうと意識していたら、できるようになりました」
中村さん曰く、オーラとは漫画「ジョジョの奇妙な冒険」のスタンドのようなもので、自分自身の背後に鎮座している存在なのだという。スタンド使いならぬ、オーラ使いとして自らの意思で発動し、操れるようになった背景には、以前と比べて悩みが減ったことが関係しているようだ。
一体、中村さんはどのような悩みを抱えていたのか。それを理解するには、彼女の半生を振り返る必要がある。
●バレエの世界で磨いた負けん気
人口3万2000人強、山と海が凝縮された街——愛媛県西予市。中村さんはここで生まれ育った。幼少期の自分を一言で表すなら「野生児」だという。
「遊ぶならずっと外。放課後、家に帰るとランドセルをポンと投げ出して、山登りか川遊びか海で釣りか。よく釣竿を持って、走って海へ行っていました」
小学校は同学年の児童が9人、しかも全員が女子だった。この環境が中村さんの負けず嫌いな性格を育んだようだ。
「本当に女社会という感じで、何に関してもみんなバチバチしていて。私の小学校は、夏は水泳、秋は陸上、冬はマラソンと、とにかく運動をたくさんしていたんですよ。運動でも負けたくなくて、とにかく頑張っていました」
実際に勝ち続けてきたのだろうか。そう聞くと、中村さんは笑いながら首を振った。
「いや、そんなことはないです。私、運動音痴なんですよ、負けず嫌いだけど、体がついていかなくて。センスが問われる運動はできません。でも、走り続けるとか、根性で何とかなる運動は大丈夫です」
ただ、この話を額面通りに受け入れるわけにはいかない。なぜなら、ステージ上で見せる中村さんのダンスは群を抜いて美しく、センスを感じるからだ。その原点は、2歳から習い始めたクラシックバレエにある。
バレエを始めたきっかけは、姉が教室に通っていたこと。もっとも、当初はさほどバレエが好きというわけでもなかったようだ。小学校低学年では週2回だったレッスンが、やがて週3回、週4回へと増えていく。転機はどこにあったのだろうか。
「低学年の頃、けっこう休んだ時期があって、久しぶりに教室へ行ったら、周りはすごく上達していて、私だけ置いてかれました。それが悔しかった。あとは当時、体がすごく硬くて、前後開脚できないとトウシューズを取り上げられたんですよ。だから絶対に体を柔らかくして、シューズを取り返すと燃えました」
さらに、バレエに対して本気になったのは、小学校高学年の時に舞台で大きな役をもらってから。人前で踊り、観客を魅了することの面白さを一気に覚えていったという。負けず嫌いな性格も、バレエではプラスに働いた。そこは競争の激しい世界で、気を抜くことなど許されなかった。
「バレリーナはみんな気が強くて、いつもピリピリした空気感があります。役を取ったり取られたり、面と向かって皮肉などを言われたり。そうした環境でずっと育ちました」
他人と常に張り合っていくのは、苦しくなかったのか。この問いに、中村さんは「逆にそういう世界しか知らなかったので、のんびりいこうという考えはなかった」と語る。
●オーディションに明け暮れた日々
中学生になり、バレエに本腰を入れ始めた頃、中村さんの元に母からある情報がもたらされる。AKB48 Team8 全国一斉オーディションだった。
特段アイドル好きというわけではなかったが、小学生の時はAKB48の「ヘビーローテーション」などが大流行し、テレビで見るキラキラしたイメージを抱いていた。愛媛でもオーディションが開催されると聞き、中村さんは「ちょっと行ってみようか」程度の興味本
位で応募した。アイドルになりたいという願望はなかったものの、バレエのステージでスポットライトを浴びながら踊る楽しさを知っていたぶん、人前に立ちたいという欲は人一倍強かったという。
しかし、人生初めてのオーディションは落選という結果に終わる。
「緊張しました。ダンス審査や面接がありましたが、すべてが初めてだからとにかく一生懸命で。最終的には落ちてしまって……」
結果的に、この落選が中村さんの負けん気に火をつけることになる。
「落ちた後、出来上がったグループ(Team8)を見ました。すごく羨ましいし、悔しいという気持ちが芽生えました。諦め切れなくて、そこからいろいろなオーディションを探しては受けました」
「愛媛だし、オーディションがたくさんあるわけではないので、とにかく書類を送っていました」
オーディションを受けていることは、友人にもバレエの先生にも一切口外していなかった。知っていたのは家族だけ。高校2年生のとき、STU48 第1期生オーディション会場で地元の後輩である兵頭葵さんに出会う。
兵頭さんは1学年下の後輩で、面識もあった。そして、このオーディションの結果もまた、中村さんの心情を大きく揺さぶることになる。
「自分は落ちちゃったけど、知らない誰かではなく、知っている葵さんが受かっていたことで、『落選』がよりリアルに感じられました」
そのオーディションの帰り道、中村さんが大暴れしたというエピソードは、ファンの間でも有名な話かもしれない。
「手応えはあったのに、それでも落ちたから、ちょっともやもやしていました。それと高校2年生の冬で、受験を控えたタイミングだったこともあり、焦っていました。お母さんも『多分、ラストチャンスじゃない? この後の進路をきちんと考えてね』と諭す感じでした。とにかくもやもやしていたから、デパートに売っている大きくキレイな缶に入った高いクッキーを1つ買って帰りましたよ。お母さんに『これ全部食べるから、買って!』と」
●戦いに終止符が打たれた
高校3年生に入り、受験勉強に向き合うかと思われたが、中村さんの闘争心はまだ消えていなかった。愛媛の小さなタレント養成所に入り、レッスンを受けながらスキルを磨く日々。あるとき、一緒に頑張っていた仲間と同じオーディションを受けたところ、中村さんだけが落選するということもあった。
「事務所の人に山ほどダメ出しを食らって。図星だったから悲しくて、いっぱい涙が出てきました。でも、このままじゃ終われないと思って」
そして高校3年の夏、第3回AKB48グループ ドラフト会議のオーディションがスタート。もうこれで最後にしよう——そう心に決め、中村さんは並々ならぬ思いで臨んだ。結果、見事に合格を掴み取り、STU48のドラフト3期生としての加入が決まった。数年にわたる戦いに、ついに終止符が打たれた瞬間だった。
「ようやく私の人生が始まるといった、清々しい気持ちでした。3月1日に高校を卒業して、2日に広島へ行き、3日にSTU48のメンバーとしてのお披露目でした。とても急展開。卒業式や実家を出ることもまるで悲しくなくて、嬉しさに溢れていました。お母さんは、ちょっとは悲しんでほしそうでしたけどね」
ちなみに、ずっと隠し続けてきたオーディション受験の事実も、合格となればさすがに周囲に知れ渡ることになる。その反応はどのようなものだったのか。
「実は、SHOWROOM審査の時に、何となく知っている友達もいました。でも、特に何も言われなくて。卒業式の日にみんな気づいていたけど黙っていてくれたことにお礼を言いました」
学校では目立つ存在ではなかったという中村さん。いつも体調不良がちで、歩いているだけで「大丈夫?」と心配されるような生徒だった。
「すごく静かで、心を閉ざしていたから、人がわっと近づいてくる感じではなかったです。あとはよく寝ている人のイメージだったと思います」
そんな生徒がある日突然アイドルになったのだから、さぞ周囲は驚いたのではないだろうか。案外そうでもなかったと中村さんは笑う。
2018年3月、晴れてSTU48の一員となった中村さんだったが、早くもアイドルとしての試練が訪れるのだった。
取材・文/伏見学
『STU48中村舞2nd写真集 舞風』は宝島社より発売中
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