
関西の ”ロケの神様” タージン(写真・馬詰雅浩)
「ロケの神様」と言われ、関西では知らない人はいないとされる伝説的なリポーターのタージン。今日も関西のどこかで、彼がマイクを向けて話を聞いている。彼のロケには「その後の編集が必要ない」とまで言われるが、なぜそこまでロケに強いのか。
その原点は2つの番組にあった。1つは朝の情報番組『おはよう朝日です』(朝日放送)の名物コーナー『突撃バーゲンダー』だ。タージンは、お店の名物商品などを紹介して値段交渉をおこなう3代めのリポーターを務めた。「いちばん知名度を上げていただいた番組やと思います。『バーゲンダー』のロケだけで1200〜1300軒はロケに行っていると思います(笑)」と当時を振り返る。
「4年ちょっと担当していたんですが、1週間に1回ロケをして5本分撮って、それを2週間後に放送という形でやっていました。当時はスーパーがどんどんできている時期だったので、個人商店にスポットを当てて、頑張ってる大将や女将さんにスポットを当てました。
タージンなんて覚えにくい名前でね。いまだによく言われるのが『タージンの上は何?』。落語家との境がわからないので『桂』とか『笑福亭』とかの屋号があるんじゃないかと。タージンの由来は、大学の落研で先輩に『地獄屋但馬春(じごくやたーじまはる)』と名前をつけられ、呼びにくいのでみんながタージンって呼び出したのでタージンにしたんです。そんなええ加減なもんです」
1回のロケで5本撮りという過密スケジュールのなか、素人と絡むことが多かった『おはよう朝日です』での経験が、タージンの “ロケ術” につながっていった。
「たとえば、アイスコーヒーを作ってるおじさんがおったら、コーヒー豆のこだわりを紹介するのは当然ですが、なぜおっちゃんがコーヒーを好きになりましたんや? という点に重きを置いてます。商品より人を見ることが大事な気がします」
ラーメンのリポートだったら、こんな感じになるという。
「この人が作るラーメンだから美味しい。このおっちゃんがこのラーメンに行き着くまでに、どんな人生を歩んできましたんや? という話のほうが興味あります。ロケが始まって、みんなが撮影の準備をしているときは、ずっとそのおっちゃんと『どれぐらいやってますの? 子供のころからラーメンが好きやったんですか?』なんて話していて。
だから、そのおっちゃんと絡みがなくても、思い入れを持って食べるから『このお父さんが作りおるのは、2日間煮込んだといいますが、お父さん入れたら30年と2日間ですよ』というふうに話すわけです。そうすると『よう言うてくれた』と喜んでくれるわけです。そういうところがほかのリポーターとは違うかなと思っています」
続いて、タージンは「リポーターは “聞くほう” だ」と語る。
「じつは、リポーターは “話すほう” に重きを置いているように聞こえますが、全然 “聞くほう” です。話を振って、聞いて聞いて聞いてをしていると、その人となりみたいなものがわかるんです。それが一言、二言入るだけで、お父さんもニンマリするかな、伝わるかなと思うんです。
それから大事なことは礼儀。基本は謙虚な気持ちでいかないと。僕はもう64歳になり、僕より若い店主もいるわけですね。僕のほうがベテランやけども世界は違うわけで。その方にリスペクトを持って、聞かせていただくという姿勢がないと、アカンように思いますね」
もうひとつ、同時期に出演していた『11PM』(日本テレビ系)もまた、ロケの技術を育ててくれた番組だという。
「深夜のちょっとお色気番組で、僕は風俗レポーターとして毎週火曜日にエッチなものをご紹介してました。柔らかい番組に思われますが、僕のいままでやってきた番組のなかではいちばん堅い番組で。
制作会議に出ると、若いディレクターが『今度こんな特集をやりたいと思います』と出したら、プロデューサーや先輩らが腕組みながら『それはどういうところがイレブン的やねん?』と聞くわけです。イレブン的な切り口がなかったら、ただの番組になってしまうと。
『ただエッチな店を紹介するカタログやないねん、ウチは』と。作り手はそういう思い入れを持って作っているんだと、僕はそれをデビュー当時から20代の前半まで横でずっと聞いてて。僕にとって『11PM』という番組をやらせていただいたのは非常に大きかったです」
たんに商品や店を紹介するだけではダメだということを『11PM』で学んだタージン。ここにも彼の “ロケ哲学” の原点があった。
もともと落語家を目指していたタージンだが、若いころには意外な経歴も持つ。テレビ初出演は中学3年生のときで、推薦人として出演した『TVジョッキー』(日本テレビ系)だった。
「『馬面大会』に馬面の友達を推薦したら通ってしまって、中学3年生2人ではじめて東京に行きました。生放送で相本久美子さんがあまりにきれいで、カメラの横でフラッシュ炊いて撮ったらえらい怒られたのを覚えてます(笑)」
18歳のときには、腕試しのために『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)にも出演している。
「7週いってます。そのときは山田康雄さんと中尾ミエさんが司会で、おっさんに見えたんでしょうね。『なんで18やねん!』と突っ込まれました(笑)。そこで審査員の1人だった赤塚不二夫先生にちょっと気に入っていただいて。『今日どうするの?』と聞かれたので、『学生なんで用事はないですが大阪帰ります』と言うたら、『じゃあ、うちに来なさいよ』と言われて、そのままお家へ泊まらせていただいて。短い間ですが、東京に行ったときは居候みたいな感じで泊めさせていただきました。最初にお世話になった方です」
当時、たけし軍団とも意外な接点があった。
「『スタ誕』に行っているときに、東国原(英夫)さん、ガダルカナル・タカさん、つまみ枝豆さんたちがいらして。僕が関西弁でしゃべっているのをおもしろがって、仲間に入れてくれはったんですよ。たけし軍団ができる前です。おつきあいいただいてすごくありがたかったんですが、僕が『スタ誕』が終わって大阪戻ったので…もしかしたら、たけし軍団に入っていたかもしれないですね(笑)」
若いころから人や番組との縁を糧に、リポーターの道を極めてきたタージン。長年関西で活躍する彼は、大阪人に対して、次のような思いを抱いている。
「大阪はじつはシャイな方が多いです。大阪の人はがめつい、ズケズケ突っこんでくるイメージあると思いますが、みんな気を遣ってそうしてるだけだと思うんですよ。大阪のおばちゃん像はこうやからそうしよう。おもろいこと言ったらみんなが喜んでくれると、大阪を背負っているところがあるんです。
大阪の人間のひとつの特徴は自分を貶めることで相手を立てる自虐ネタ。これは大阪人の愛やと思ってるんですね。ある種、大阪人の強みでもある。だから、僕は関西という土地が非常に好きです。こんなふうに思っているのは僕だけかもしれませんが、43年間、ほとんど街なかにいる僕はそう感じてます」
現在は新しいフィールドを求め、『上方演芸会』(NHK)への出演や、天満天神繁昌亭などで漫談家として高座にも上がっている。
「高座はテレビと違って生の反応がダイレクトに来るので、そのへんは非常に楽しみであります。もともと落語家に憧れてましたので、寄席の楽屋で芸人さんたちと絡めるのも楽しいです。学生時代に戻って、噺家のお祭りの『彦八まつり』では落語を披露させていただきました。すごく刺激になりましたし、まだ僕が知らないジャンルがあると思うので、そんなものを見ていきたいなと思ってます。
それと、僕が実況しているアメリカンフットボールは知力と体力が必要な究極のスポーツ。少しでもメジャーにしていきたいですね」
43年間レポーターを続けてきて、改めてロケの醍醐味は「その人となりに出会えること」と語るタージンの躍進は、まだまだ止まりそうにない。
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