
『崖の上のポニョ』でポニョ役を務めた神月柚莉愛(写真・長谷川 新)
「ポニョ、宗介スキー!」
2008年に大ヒットしたスタジオジブリの人気作品『崖の上のポニョ』。原作・脚本・監督を巨匠・宮崎駿が務め、興行収入155億円、観客動員数1287万人を記録した。
冒頭のセリフを無邪気に叫ぶ“魚の子”、ポニョを演じたのは当時7歳の子役、奈良柚莉愛だった。彼女はその後、ならゆりあ、神月柚莉愛(こうづき・ゆりあ)と改名して現在に至るのだが、ここまでの道のりは平坦なものではなかった。
「0歳でデビューしているので、芸歴=人生なんですよね」と笑う神月は、現在26歳。デビュー当時のことはもちろん覚えていないという。
「私の姉が元々子役事務所に所属してたんですけど、子役事務所なのに赤ちゃんがいなくて……私が生まれる前に『この子、予約で』って言われたらしく(笑)」
神月の姉は「菜花まりあ」の名前で子役を経てアイドル活動をおこなっていたが、現在は芸能界を引退して会社員となっている。
「私も一番最初は、おむつの赤ちゃんモデルからスタートして、赤ちゃん役でドラマにも出させていただいたり……。でも、あまり売れっ子でもなかったんです。千葉の君津に住んでいたので、都内にオーディションに行って帰宅するとFAXが届いていてダメだったーということも多かったですね」
売れっ子子役ではなかったものの、仕事が途切れるわけでもなかったという神月。小学校2年生のごろに、ブロードウェイミュージカル『ピーターパン』のオーディションに受かり、仕事が安定し始めたという。
「私の母はいわゆる“ステージママ”ではなかったので、お仕事についても、私はのびのびと楽しいことができるなーと思っていたくらいでした。でも、姉の舞台出演が決まり、それを見て『舞台ってすごいパワーがあるんだ』って気がついて。そこから私も『ミュージカルに出たい』と思い始めたんです。『ピーターパン』に合格したときは本当に嬉しかったですね」
演じることの楽しさを自覚し始めたころ、大きなオーディションが始まる。子役を対象に“子供の声”の大々的な募集がかかった。
「当時、私は7歳で、声優っていうお仕事があるのをまず知らなくて。それこそ、アニメの吹き替えとかも『本当のプリンセスが、歌って喋ってるんだ』と思ってましたし(笑)。『ポニョ』のオーディションも募集があるからマネージャーさんが出しますねって送ったら、流れでトントンと……」
オーディション会場には多数の子役が集まっており、かなりピリピリした空気だったという。
「みんなやっぱりライバル同士だったから、結構視線は怖かったですね。やる気満々のお母さんとか、やっぱり日頃からずっとレッスンに通って頑張ってる子たちからすると、『誰あの子?』みたいな、上から下までこう見られるような感じで(笑)。ポニョの声は地声だったんですけど、それが武器になるなんて全く自覚していませんでした」
無欲の神月は見事に“ポニョ役”に選ばれ、事務所は大騒ぎとなった。
「事務所はポニョ役に決まったことは内緒にしないといけなかったみたいで。でも練習もしないといけないので、収録が始まる1週間ちょっと前くらいに母が事務所に呼ばれたんです。『ミュージカルのことで、ちょっとお話があるから』と呼び出されたので、母は『柚莉愛は何をやらかしたんだ?』と(笑)。菓子折り持ってドキドキしながら、謝罪するつもりで事務所に行ったら『おめでとう、決まったよ』と言われて驚いたそうです。私は学校に行ってたので知らなくて、『ただいまー!』って玄関開けたら母が、すごいスピードで走ってきて、バッ! って抱きついてきて『おめでとうー!』。何のことか分からず『う、うん、ありがとう』って言って握手して……(笑)」
収録が始まると、スタジオには多くのスタッフとともに、宮崎駿監督の姿も。
「いましたねー(笑)。『始めましょう』って言われてすぐ始まって、分かりやすくディレクションいただきながら、収録が進んでいくんですけど、『OK』だったら大きくOKサインを出してくださいました。あんまり会話っていうのはなかったんですけど、それこそ全部の収録が終わった後に、ハグして『お疲れ様』ってパンパンってやってくださいました。体温の温かさを感じるとともに、タバコの香りがすごくて(笑)、それが印象深いですね。家族が誰もタバコ吸わないので、新鮮でしたね。すごく心地いい香りだなと思ったのを覚えてます」
■強すぎる「ポニョの呪縛」
日本アニメ史に残る大作に出演し、声優の楽しさを知った神月は「私は声優さんになりたい!」と決意したのだが、なかなかうまく行かなかったという。
「ビッグタイトルだったがゆえに、地声でやったらどうしても『ポニョ』が浮かんじゃうんですよね。オーディションを受けても、当時声色を変えるとか、声のお芝居をすることもあんまりよく分かってなかった。最終選考まで行っても落とされるというのが続きました。もしかしたら役がもらえるかもだからキープしといて、と言われたスケジュールも結局ダメでバラシというのが続いて……。マネージャーさんと話し合ったら、『声優は無理だよ』って言われてしまったんです。当時は『ポニョ』にはハマったけど、他の役は難しいと。そこで切り替えて、役者の方に力を入れたんです」
2009年にテレビ東京系で放送されたアニメ『たまごっち!』の主題歌『GO-GO たまごっち!』を歌うことになり、漢字表記を改めて“ならゆりあ”として再始動。舞台を中心にオーディションを受け続ける日々が続いた。
「中学から高校までの時期は本当に受かりませんでした。芽が全然出てない状態だったので、しばらくすごい苦しい時期が続き、一回、中学生の時に家族会議が開かれて『このまま続けるか辞めるか』っていう真剣な話し合いをしたんです。『辞める』まで行きそうだったんですけど、私はステージに立ってたいとか、もう芽が出なくても、今、頑張ってたいっていうのがすごく強かったので、泣きながら『辞めたくない!』と(笑)」
神月は、とにかく折れなかった。仕事がない時期も、やりたいことに正直だった。しかし、実際に“仕事がほぼない芸能人”という立場は辛かったという。
「人とほぼ生活は変わらないのに、気持ちは芸能人でいなきゃいけないっていう、その苦しみは一時期やっぱりありましたね。学校の友達と海に行きたいとか、放課後にちょっと買い食いしたいとかと思っても一応、芸能人ですから……。日焼けもできないし、体型も維持しないといけない。ダンスも大好きだったので、レッスンに週5とかで通ってましたし、親からやらせてもらっているわけなので、芸能人であり続けようとしていました。でもオーディションは全然通らない日々が続きましたね」
どうしても芸能界で生きていきたい。しかし、気持ちと現実の隔たりはあまりに大きい。高校生だった当時、大学への進学などは考えてなかったのかと聞くと、神月はニッコリと笑って言い切った。
「私はゆりかごから墓場まで芸能界と思っていたので(笑)。それこそ、0歳から始めさせてもらったことを生かさないともったいないと思っていたんです。もう人生の目標なんです」
ポニョの声のころより成長した今なら行けるのでは、と子役事務所を退所し、声優の事務所にも片っ端から履歴書を送りまくったという。
「当時は本当に知識もなく、声優として頑張りたい気持ちだけだったので、養成所に行った方がいいとか全く知らなくて。とりあえず声優もいらっしゃる事務所に履歴書を送りまくったんです。でもやっぱりそう簡単には決まらない。『練習生からどうぞ』みたいな返事ばかりで、そのころ、ポニョだったことは『反則かな』と思って履歴書に書いてなかったんですよね。聞かれれば正直に答えてたんですけど、どちらにしても受からない。ほかにも劇団四季とか『レ・ミゼラブル』のミュージカルのオーディションとか、たくさん受けました。やりたいものが多すぎて、当時は(笑)」
■ローカルアイドルに転身
完全に迷走状態だった神月に、ある日、転機が訪れる。
「子役時代に『よゐこのKIDSぱらだいす!』(キッズステーション)で共演していただいた『よゐこ』の濱口優さんが、当時のTwitter(現X)で『アイドルを募集します』ってツイートをしていたんです。相互フォローだったので『これが流れてきたのも何か運命かもしれない』と思って応募して、オーディション会場に行きました。で、最終選考まで残って、落ちたんですよ(笑)。落ちて終わりたくなくて、せっかく濱口さんと連絡ができる状態にあるなら、何でダメだったのかっていうのを、今私が分からないと、多分次に進めないと思って、聞いてみたんです」
神月は、濱口に「オーディションありがとうございました、結果真摯に受け止めます。でも、どうしても、なぜ落ちてしまったのかっていうのを知りたいです」と質問したという。
「濱口さんは、“スタートラインが一緒のメンバーで始めたい”と。プラスに捉えると、元ポニョはキャリアとして強すぎるというか。そうかーと思っていたら『名古屋で先にデビューして欲しいんだよね』って言われたんです。濱口さんと一緒にプロデュースを担当していた方が、名古屋にも御当地アイドルのチームを持っていて、そっちに入ってほしいと。名古屋かー!とは思ったんですけど(笑)、すぐに飛び入り参加ということで『PIDL.Nagoya』に入ったんです。マンションの1室に寮があって、そこに入ってほぼ一人暮らし。私が入ってすぐに『performance Idol league☆未来stage』っていう長い(笑)アイドル名になりまして……。その後さらに『VeryMerry』ってチーム名がついて『performance idol league☆未来stage VeryMerry』とさらに名前が長くなりました。
東海地方のメディアでお仕事させていただいたり、オーディションライブやったり、1年ほど活動させていただきました。アイドルはすごく楽しかったですし、ファンの方とも出会えて、応援してくださったご恩もあるんですけど、運営方針が変わったりして悩んでいたんです。そのタイミングで濱口さんが『実は松竹芸能に声優部ができたんだよね』と手を差し伸べてくださいました。ありがたいことに仮所属させていただいて、声優の道に進み始めたんです」
■ 謎の鳥&アザラシ…「人外キャラ」に覚醒
2020年10月にアイドルを卒業した神月は、実家の千葉に戻った。声優活動と同時に地元の君津で2021年12月から氣志團の団長、綾小路翔が団長を務める『きみつ大好きだぜ!応援團』の團員としても活動を始めた。
「地元でアイドル活動をしていた姉が団員募集を見つけました。一緒にやらないか誘われて、応募して入りました。楽しかったですね。君津で一日警察署長とかもやりました。ただ、このお仕事はギャラがなくて、ボランティアみたいな感じでしたね。その翌年から松竹芸能に正所属になりました」
仮所属の時点でテレビ東京系のアニメ『ちみも』へのレギュラー出演を決めたことから、「声優を名乗って大丈夫」と言われて正所属することになったという神月。しかし、松竹が声優部を立ち上げて間もなかったため、オーディションの誘いはなかなか来なかった。
「やっぱり声優として売っていこうと、マネージャーさん皆さん、もちろん営業頑張ってくださってるので、文句とかは全くないんです。でもオーディションがなかなか来ないっていうのはやっぱりネックになり、また、来たオーディションを100%取れるわけでもないので、難しい部分はありました。何がいけないのかっていうのは常にノートにメモして、自分のオーディションボイスを聞き直して『あ、ここがダメだったのかもしれない』とか必死でしたね。そして、ようやく主演が決まったんです」
彼女が主演したのは、2026年4月から6月まで放送されたアニメ『クジマ歌えば家ほろろ』(AT-Xほか)だった。演じたのは、ロシア生まれの高身長の鳥らしき謎の生物、クジマ。ロシア語なまりの日本語を話し、時にはロシア語で絶叫する難役だったが、見事に演じきった。
「クジマはオーディションの時点でどう演じればいいのかで分からなさすぎたので、もう分からないなりに求められてる声を忠実に再現しようと。オーディションのボイスは、今でも持ってるんです。当時、ロシア語のセリフもあったんですけど、今聞いたらめちゃくちゃすぎて(爆笑)。イントネーションもすごく難しくて、第1話の収録のテストが終わった時に、ロシア語監修の人が『これはロシア人の日本語なまりじゃない』って指摘されました。中国語っぽいなまりになってるということで、1から全部、イントネーションを上げるところは丸をつけてやり直して。共演者の皆さまにも待っていただいて、録り直したんです。すごいバタバタの第1話収録だったなっていうのは覚えてます」
“魚の子”ポニョを演じて声優を夢見た少女は、大人になってロシアの謎の鳥の役を射止めた。そして2026年4月12日からは『小3アシベ QQゴマちゃん』(テレビ東京系)で、ゴマフアザラシのゴマちゃんの声も演じている。
「たまにエゴサするんですけれども、面白い方がいらっしゃって、『人面魚になって、鳥になって、新しくアザラシになるのか』ってポストされていて(笑)。なんか嬉しいなって思って。とある方に、基本的に声優さんは人外役を演じる時にスイッチが入るのに、神月さんは人間の時にスイッチが入るから『人間は下手くそ』って言われたことがあって。なのに『何で人外だとあんなに生き生きするの?』とも聞かれました。もしかしたら人外の声優として生きていくために生まれてきたのかなって最近は思うくらいです(笑)。
なので、それこそまずは人外として生きていくために(笑)、一生懸命頑張りたいと思っています」
かくして神月は、20年近くの回り道を経て再び声優道を突き進んでいる。2026年8月31日に松竹エンタテインメントとの専属契約が終了し、現在はエルキュール所属になった。そして彼女にはある目標がある。
「私はそれこそ、人間をいかに上手く演じられるかを考えてます(笑)。もう本当に声優として歩き始めて何年経つんだって思うんですけれども、やっぱり改めて人間の難しさを、今すごく実感している状態。声優としてみなさんに期待していただけると嬉しいなという風に思っております。あとは、クジマの2期をぜひ、と思っています」
ポニョのぬいぐるみは、ずっと大切に持っている。華々しいデビューから苦労を重ね、唯一無二の声で主演まで上り詰めた彼女は、“揺りかごから墓場まで芸能界”の誓いを必ず果たすに違いない。
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