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忌野清志郎さんの曲を聴いて「ほれ直した」矢野顕子が明かす、天才シンガーソングライターの“人間力”

インタビュー 記事投稿日:2026.10.13 06:00 最終更新日:2026.10.13 06:00

忌野清志郎さんの曲を聴いて「ほれ直した」矢野顕子が明かす、天才シンガーソングライターの“人間力”

「この曲を歌うと、しばらく休まなければならないほどでした」と語る矢野顕子

 

――2009年の突然の別れから17年。デビュー55周年の記念ドキュメンタリー映画が10月2日に公開されるなど、今なお唯一無二の存在感を放つ「忌野清志郎」。彼と深い親交を結んだ著名人たちに、その素顔や言葉の美学を、思い出深い「清志郎の一曲」とともに紐解いてもらった。

 

<選んだ一曲>
『恩赦』
1993年発売。忌野清志郎&2・3’Sのシングル『プライベート』カップリング曲。「彼のCDを聴きながらマンハッタンの街をドライブしていたとき、この曲が流れてきて、心をわしづかみにされました。私にもこんな曲が書けたらどんなにいいだろう、と。ほれ直しました」。

 

 互いに「きよしちゃん」「あっこちゃん」と呼び合い、ステージではデュエットも披露していた2人。矢野にとって清志郎さんは、気心の知れた友人であると同時に、その才能にあこがれ、敬意を抱く音楽家でもあった。そんな彼女が選んだ1曲は、1993年に「忌野清志郎&2・3’S」名義でリリースされた『恩赦』だ。

 

「この曲のなかで、彼は“すべての人”への『恩赦』の存在を歌っています。ここでいう『恩赦』は『救済』と言い換えることができると思います。その一方で歌詞は、“自分も同罪だ”と続く。そこに、彼の洞察力や人間力を感じます。心からそう思っていなければ、こういう詞は書けません。だからアルバム『矢野顕子、忌野清志郎を歌う』を作るときにも、この曲は絶対に入れようと思いました」

 

 同作は2013年2月、矢野が清志郎さんのレパートリーから選曲し、自らプロデュースしたアルバムだ。制作の背景には、ソングライターとしての彼の本質に目を向けてほしいという願いがあった。

 

「私が知っている清志郎は、彼が書いた曲を通して知った清志郎です。センセーショナルなものの言い方や、ステージでのメイク、衣装などから、彼を異端視するのは簡単です。でも、もともと彼はシンガーソングライターであり、曲を作る人だった。その曲にこそ注目してもらいたいと思いました。そして、それは私がやるべきだろうと。そんな思いで、『矢野顕子、忌野清志郎を歌う』を作りました」

 

 清志郎さんが書き、歌い、残したレパートリーは膨大だ。そのなかから『500マイル』や『デイ・ドリーム・ビリーバー』など10曲と、デュエット曲『ひとつだけ』を加えた全11曲は、どのように選ばれたのだろうか。

 

「選ぶのはたいへんでしたね。ただ、作曲家として彼が表現しようとしたことと、私自身が共鳴できる部分とが、同じところにないといけない。そういう基準で選んでいった結果、この11曲になりました。『雨あがりの夜空に』のように、誰もが一緒に歌える曲もたくさんあります。でもこのアルバムは、私が歌うべき歌を中心に選びました」

 

 アルバム発売にともなうツアーでは、毎公演で『恩赦』を歌った。

 

「ものすごく歌うのがたいへんな曲なんです。歌そのものに、技量や精神面でとても大きな力を求められる。私自身が彼と同じ土台に立って歌い、聴いてくださる方に届けなければならない。そのエネルギー消費量は半端ではなくて、この曲を歌うと、しばらく休まなければならないほどでした」

 

■かなわなかった清志郎さんとの約束

 

 2人がライブでよくデュエットしていた『ひとつだけ』も、思い出深い一曲だという。1982年、雑誌「ビックリハウス」のイベントが2人の初顔合わせだったが、そのリハーサルに彼は大遅刻したという。

 

「あまりにも来ないので、チャボ(仲井戸麗市)が彼に電話をしたら、彼が寝てたんですね。それで、『あ、しまった!』って。そのときチャボが、『バカタレ』って言ったんですね。私、そのやりとりがすごく好きで。『しまった』と『バカタレ』で2人の関係性がわかるんですよね。この人たちと一緒に演奏できるのは本当にうれしいなって思いましたね」

 

 このとき清志郎さんは、「矢野さんの『ひとつだけ』を歌いたい」と申し出た。

 

「それは、すごくうれしかったですね。あの曲を愛してくださる方はたくさんいるんですけれど、彼が歌うことで、また別の風景が見えてくる。私にとってはとても新鮮でしたし、聴いていた方々も、みんな同じように思ったんじゃないかな」

 

 矢野のデビュー30周年記念ミニアルバム『はじめてのやのあきこ』には、清志郎さんとのデュエット版『ひとつだけ』を新たにスタジオ録音して収録。その後も2人は、たびたびライブで共演し、この曲を披露した。

 

 2018年、矢野はアーティスト・のんに、清志郎さんへの思いを込めた楽曲『わたしはベイベー』を書き下ろした。

 

「のんちゃんは、彼のものまねがうまいんです。それに彼女も、根っこの部分はロックンローラーで、家のなかではずっとロックンロールを歌っているような人なので、のんちゃんだったら清志郎の、私と同じ部分をきっと好きになってくれるだろうなと思って書きました。ちゃんとハマった感じですね。のんちゃんに書いたこの曲を清志郎が聴いたら、きっと気に入ってくれるはずです」

 

 矢野には、清志郎さんとかわしていた約束があった。だが、彼のがん再発によって、それはかなわなかった。

 

「最後に会話したのが、『一緒に曲を作ろう』という話でした。長いつき合いなのに、一緒に座って曲を作るということは、それまで一度もなかったんですよね。じつはちゃんと日程も決めていたんですが、直前になってマネージャー経由で『ちょっといま、具合が悪いんだよね』と連絡があって、彼が入院してしまって、その約束はかなわなかったんです」

 

 清志郎さんの歌の魅力を、矢野はこうまとめてくれた。

 

「日本語が非常にきれいであるということ。ひとつとして不明な言葉がない。言葉のすべてが私たちの耳に届く。つまり、心に届くっていうことです」

 

やのあきこ
1955年2月13日生まれ 東京都出身 高校在学中からジャズピアニストとして活動し、1976年にアルバム『JAPANESE GIRL』でソロデビュー。2026年12月6日、NHKホールで「さとがえるコンサート2026〜50年分の感謝を込めて〜」を開催予定

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出典元: 週刊FLASH 2026年10月20日・27日合併号

著者: 『FLASH』編集部

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