
「あんな優しい人は、いてへんでしょう」と話す間寛平
2009年の突然の別れから17年。デビュー55周年の記念ドキュメンタリー映画が10月2日に公開されるなど、いまなお唯一無二の存在感を放つ「忌野清志郎」。彼と深い親交を結んだ著名人たちに、その素顔や言葉の美学を、思い出深い「清志郎の一曲」とともにひもといてもらった。
<選んだ一曲>『RUN寛平RUN』
2009年、「アースマラソン」の応援歌として『走れ何処までも』とともに配信限定発売
「766日間の挑戦中に、何度も聴いた曲です。ゴールのステージに清志郎さんに来てもろて、歌を歌ってもらいたかったです」
いきつけの地中海料理店が同じだったことが、2人の親交のはじまりだった。
「店に行ったら清志郎さんがいて、初対面やのに、いきなり『寛ちゃん!』って。ほな、僕も『清ちゃんでええな』と。その日から、“かんちゃん、きよちゃん” の仲になりました。一緒に酒を飲んで、タバコを吸って過ごしてね。そのとき、『歌、作ってくれへん?』って言うたら、『いいよ』って言ってくれました。でも、ほんまに書いてくれるとは思わなかったです(笑)」
数カ月後、清志郎さんから『ジャングル・ジム』『やどもり』『月光バスボーイ』という、3曲の新曲が届いた。『やどもり』は、清志郎さんに「歌詞を書いて」と言われて、作詞を手がけたのだという。
2001年7月、大阪・アメリカ村のライブハウス「BIGCAT」で、清志郎さん率いる「ラフィータフィー」のライブが開催された。寛平は、そのステージに飛び入り参加して『ジャングル・ジム』を披露した。
「お客さんが『アメマ〜!』って言うから、僕も『アメマ〜!』って返して、大盛り上がりして。そしたら清志郎さんが『アメマって何?』って聞くんです。『アメマバッジを作って、えらい借金ができてん』と話したのを覚えています(笑)。ライブ後の握手会も『かんちゃんもやってよ』と言われて、一緒にやりました」
清志郎さんは、寛平の長男・間慎太郎(45)のことも気にかけてくれていたという。現在はミュージシャン、俳優として活動している慎太郎は、中学1年のとき、父の影響で見た清志郎さんの映像に衝撃を受け、ギターと作曲を始めた。
「慎太郎が清志郎さんに会いたいと言うので、お店で会う約束をしたんやけど、時間になっても慎太郎がなかなか来ない。1時間、2時間と過ぎても、清志郎さんは『慎太郎くんが来るまで待つよ』と言ってくれて。
結局、慎太郎が来たのは3時間後。横浜からの電車が止まってたのが原因やった。そっから、慎太郎と清志郎さんはずっと話をしてた。慎太郎が『今度アルバム出すので、応援メッセージのVTRをください』とお願いしたら、清志郎さんは『慎ちゃんのためならいいよ』と言ってくれました」
2007年、慎太郎がアルバム『シンプルマン』の発売にともなって音楽番組に出演した際は、療養中だった清志郎さんが自らの発案で東京・浅草花やしきに出向き、アルバムの感想を語るVTR撮影に協力してくれたという。
翌2008年には、寛平はモロッコのサハラ砂漠を7日間で走破する「サハラマラソン」に出場した。重いリュックを背負い、夜通し走り続けることもある、総距離245.3kmの過酷なレースだった。
「ゴールまであと2日というところで、僕はもうへたりかけていて、『これはやばい』と思ってたんです。そんなとき、密着していた関西テレビのスタッフが、清志郎さんから届いた応援メッセージのビデオを見せてくれました。
清志郎さんが京都のライブ会場で、お客さんに向かって『俺のダチがよ、いま、砂漠のマラソン大会に出て走ってるんだよ。お前たち、みんなで応援してやってくれ!』って叫んでくれていて。それを見たら、涙が出ましたね。あの応援があったから、ゴールできました」
レースを完走して帰国後、すぐに清志郎さんへお礼の電話を入れた。応援メッセージに対する感謝を告げ、続いて、新たな頼みごとを切り出した。
「今度、地球一周まわんねん。歌作ってくれへん?」
こうしてできた曲が、『RUN寛平RUN』と『走れ何処までも』だった。
■訃報を聞き、涙をこぼしながら走り続けた
2008年12月、寛平は、マラソンとヨットだけで地球を一周する「アースマラソン」に挑戦した。大阪を出発し、太平洋、北米大陸、大西洋、ユーラシア大陸を横断。766日をかけ、陸路約2万kmを走り、海路約2万kmをヨットで航行。総移動距離4万1040kmに及ぶ、地球一周を成し遂げた。
「ゴールしたら、清志郎さんに来てもろて、歌を歌ってもらいたい。そんなことを思い描きながら走っていました」
2009年5月、アースマラソン138日め。米国のコロラド州からカンザス州に入った直後、寛平は、妻からの電話で清志郎さんの訃報を知り、その場に泣き崩れた。
「聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。信じられませんでした」
寛平は、涙をこぼしながら走り続けた。清志郎さんが寛平のために書き下ろし、約2年3カ月ぶりにレコーディングした『RUN寛平RUN』を聴いた。歌のなかで清志郎さんは、何度も寛平の名を呼び、その走りを支え、励ました。
「みんなが近寄りがたいほどの大物スターやのに、ようつき合ってくれたなぁと思いますね。あんな優しい人はいてへんでしょう。もし、清志郎さんに会えたら? 『また歌、作ってちょうだい』って言いますね(笑)」
はざまかんぺい
1949年7月20日生まれ 高知県出身 1970年に吉本興業入りし、「アメマ〜」「かい〜の」などのギャグで知られる一方、マラソンランナーとしても活躍。2022年、吉本新喜劇ゼネラルマネージャーに就任。若手の育成や舞台づくりにも力を注いでいる
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