幅広い年代に人気の風俗店
「午前0時以降の営業が禁止され、歌舞伎町のネオンの灯りが時報とともに一斉に消えたんですよ。それを見て、『これからの歌舞伎町はどうなるんだろう』と想像がつきませんでしたね」
1985年2月13日、「新風営法」が施行されたその日、映画監督の山本晋也氏は深夜番組『トゥナイト』(テレビ朝日系)の取材で歌舞伎町にいた。そのときの心境を、のちに本誌のインタビューでこのように答えていた。
法律の施行により、ウェイトレスが下着を穿かないことで人気を呼んだノーパン喫茶は壊滅。女性の痴態を個室から眺める「のぞき部屋」も現在、歌舞伎町では1店舗のみになるほど激減した。
個室型のソープランドやファッションヘルスも届出対象となり、「風俗業界の萎縮」が本気でささやかれた。しかし、1990年代、「法の目をかいくぐるようにさまざまな遊びが生まれた」と語るのは、ノンフィクションライターで新刊『ルポ風俗の誕生』(12月刊行)を著した高木瑞穂氏だ。
「性風俗業界の自由な発想と行動力は、法律を超えた魅力がありました。やがて違法なホテトルやデートクラブが跋扈し、それらを取り締まるための改正風適法が施行(1999年)されましたが、新たにデリヘルが生まれました。その後、異性紹介業のはじまりである愛人バンクはテレクラ、出会い系サイト、そして現代のマッチングアプリへと、法改正と伴走するように姿を変えてきました」
30年前、サラリーマンを喜ばせた風俗の「現在地」はどうなっているのだろうか。探ってみると、業界の「適応力」に驚かされた。
「1990年代前半のトピックスは『イメージクラブ』の登場でしょう。当初はアイマスクをつけて寝ている無抵抗の女性をイタズラする“夜這いプレイ”がメインでしたが、その後は上司とOL、教師と生徒など、役割分担された“ストーリープレイ”が人気になりました。
しかし、プレイそのものは性風俗。店舗側は『イメクラは同じ趣味を持つ同好者の遊び。風俗営業には当てはまらない』と主張しましたが、やはりその理屈には無理があり、当局の指導や摘発が相次ぎ、ビルやマンションの一室で営業していた店は姿を消しました。
もちろん人々の欲望が消えることはなく、現在は届出店のファッションヘルスがイメクラのサービスをおこなっています。なかでも人気になっているのは電車痴漢です」(風俗専門記者)
横浜・曙町にある「痴漢イメクラ ラッシュアワー」の個室では電車内がそのまま再現され、BGMもホームのアナウンスや電車の走行音などだ。オープンして20年以上になるという。
「イメクラが流行し始めたときに遊んだ50代、60代のお客様に多くご利用いただいています。女の子を後ろからハグして生肌を触るなどの痴漢プレイをお楽しみいただけます。日常では体験できないストッキング破りや、生パンティ持ち帰りなどのオプションが人気です。横浜という場所柄、学生さんや20代のお客様も多く、創業からずっと変わらない痴漢イメージプレイは、世代を超えて受け継がれていくと感じています」(店舗責任者)
個室でAV鑑賞ができる「ビデオボックス」も1990年代に流行した。プラス料金で女性が「手助け」をしてくれるのだが、登場したころは女の子が「客自身が自分でする行為」をじっと見ているだけという店も多かった。埼玉県西川口にある「ビデオdeはんど」は「店舗型ビデオBOX風手コキ専門店」をうたい、人気を博している。
「1500本のDVDからお好きな作品を選んでいただき、それを観ながら女性のハンドサービスをお楽しみください。最安料金が総額2980円という手ごろな価格で、9割がリピーターのお客様です。全国的にこのジャンルのお店は増えていると思います」(店長)。
サービスはライトなので、風俗未経験の女性が応募してくるそうだ。そうした点も人気の理由だという。
「まだ営業してくれていたか」と50代以降のサラリーマンを歓喜させているのが、オープンして38年になる「お見合いパブ アダム&イヴ新宿本店」。
来店している気になる女性に向け、「職業・出身地・血液型・趣味・ひと言」などを書いたメッセージカードをボーイに託し、女性から「よろこんで御一緒に飲みましょう!」のメッセージが返ってくればツーショットになれるシステム。男性客は30分飲み放題2500円、女性客は無料というマッチング形式の飲食店の先駆けだ。
「開店以来の常連様も多くいらっしゃいます。来客の男女割合は、男性客が10としたら女性は6の比率だと思います。お酒を楽しむだけという男性のお客様もいらっしゃいます。意気投合すれば、そのままご一緒に退店されることも多いですね」(マスター)
バブル崩壊後の不景気で、料金が高額なソープランドから客足は遠のき、「ファッションソープ」という看板が出現した。
「個室の内装はソープランドのままで、サービス内容をファッションヘルスにして価格を抑える店が増え、今なお健在です。
そして特筆すべきは、『韓国式エステ』の登場です。これまでにはない業態でした。40代から50代の熟女エステティシャンが大量の蒸しタオルを使って本格的なマッサージをしてくれます。
最後は手のサービスになりますが、爪切りやフェイスマッサージなどもあって総額1万円ほどなので満足度は高かったですね。年齢的には管理職クラスのサラリーマンに人気がありました。
しかし、客入りの噂とともにあっという間に店舗が増えたことから、摘発されてしまいました。その後は射精サービスがなくなり、『韓国式洗体』や『健康マッサージ』などになりましたが下火に。今ではほとんど見かけなくなりましたね」(風俗誌編集者)
1985年に誕生し、1990年代前半には漫画家の成田アキラ氏による「体験記」の連載で爆発的人気になったテレフォンクラブはどうなったのだろうか。
「マイカーがあれば、地方都市でも『出会い』が期待できるため、店舗数は全国規模で広がりました。そのため、出張の空き時間でテレクラを楽しむサラリーマンも多くいました。
しかし、未成年少女の援助交際問題や店側に雇われた“サクラ”の女性が電話をかけるなどのトラブルが多く、さらに利用者の身分確認をする法規制などができたため人気がなくなり、店舗を介さずに直接会話ができるツーショットダイヤルに取って代わられました。とはいえ、今でもわずかながら『テレクラ』は存在しています」(前出・編集者)
高木氏は、風俗産業を興した先人たちを「ほころびをついた『異端児』であり、早すぎた『天才』であり、国を欺く『ならず者』が良くも悪くも新たな歴史をつむいだ」と語る。さあ、今宵はどこへ遊びに行こうか。
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