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冠二郎の症例に学ぶ「酒と肝臓の関係」γ-GTPが900を超えて…
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.07.08 16:00 最終更新日:2020.07.08 16:00
数多くの臓器のなかで、なぜこうも肝臓だけがアルコールと密接に関係しているといわれるのか? そして、本当に我々が「飲んでいい」1日の酒の量は、どのくらいなのだろうか?
「あのころは、まさにアルコール漬けの日々を送っていました。そのツケが、肝臓に回ってきたんです」
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演歌歌手の冠二郎(76)が、自身の若き日を、そう振り返る。1967年にデビューした冠は、最初の10年ほどヒット曲に恵まれず、不安にさいなまれて「酒に逃げた」という。
「『朝起きたら、まず一杯』という生活でした。地方のキャバレーで営業が入ったときも、ステージの横に酒を置いていたほどです。そして仕事が終われば、地元の後援会の方々と飲んで……」
1977年に『旅の終りに』がヒットしたあとも、その生活は変わらなかった。やがて、彼の体に異変が生じるようになる。
「ものが二重に見えたり、ろれつが回らなくなったり。あげくは、マイクのボリュームを目いっぱい上げても声が通らないほど、肺活量が落ちてしまいました。
そして、友人に突然『おい、目が黄色いぞ』と指摘されたんです。3日3晩、ろくにものを食べず飲み続けた、1984年10月10日のことでした」
これは尋常ではないと病院に行くと、γ-GTPの数値が900を超えていた。
「全身に黄疸が出ていたんです。さらにお医者さんが驚いたのは、白目と黒目の境に、緑色の線が出ていたこと。生死に関わる状態だといわれ、診断された結果は『急性アルコール性肝炎』でした」
服薬処置を受け、4カ月後には肝機能の数値が改善。黄疸も消えた。だが、そうなってから間をおかず、ある日、ビールのミニ缶を買っていた。
「また少しずつ酒量が増えて、息切れも激しくなりました。そして今度は、『慢性肝炎』と診断されてしまったのです」
その後、冠は「あること」をきっかけに、酒を断つことに成功した。
「忘れもしません、1989年12月7日でした。『NHK紅白歌合戦』の、出場者発表の日だったんです。いくつかヒット曲があったので期待していたのですが、落選でした。『半端な気持ちでは「紅白」に出場できないな』と覚悟を決め、酒はもちろん、ギャンブルもタバコもやめました」
冠はその後、1991年・1992年・1995年に、念願の『紅白』出場を果たしている。当時の彼の病状について、肝臓専門医の浅部伸一医師は、こう診断する。
「γ-GTPの数値が900を超えたというのは、危なかったですね。慢性的に肝臓が傷んでいるところに、大量に酒を飲んだため、急激に肝炎が悪化したと考えられます。
こういう状態で亡くなる方もおられます。その後、思い切って断酒されたのは、賢明だったと思います」
肝臓の重要な働きのひとつが、有害物質の解毒。酒は、次のようなメカニズムで無毒化される。
「アルコールは、肝臓内でアルコール脱水素酵素(ADH)などによって分解され、二日酔いや頭痛、動悸の原因となるアセトアルデヒドになります。
さらにアセトアルデヒドは、肝臓内のアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)によって、酢酸へと分解されます。酢酸は血液にのって全身へとめぐり、水と二酸化炭素に分解され、汗や尿、呼気により体外へ排出されます」(慶應義塾大学看護医療学部教授・加藤眞三医師)
ところが、大量の酒を飲み続けていると、肝臓の分解能力を超えてしまう。その結果、肝臓にさまざまな症状を招くことになる。
「まず、『脂肪肝』です。脂肪肝とは肝臓(肝細胞)に脂肪(とくに中性脂肪)が蓄積した状態のこと。脂肪肝になるメカニズムはじつにシンプルで、体が使うために肝臓から出ていく脂肪よりも、肝臓で造られる脂肪が多い場合に、脂肪肝になります。
つまり、使われることのない脂肪が “貯金” として肝臓に蓄積している状態です」(浅部医師)