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野坂昭如『火垂るの墓』は日本人が書いた戦後の小説で最も難解

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.08.31 16:00 最終更新日:2020.08.31 16:00

野坂昭如『火垂るの墓』は日本人が書いた戦後の小説で最も難解

 

 戦後に日本人が書いた小説史上、最もわかりにくい「文」(私が読んだ中で)を出そう。野坂昭如の『火垂るの墓』の冒頭である。おそらく、多くの人がスタジオジブリの映画では見たことがあるだろう。一回で意味が取れたらすごい。

 

《省線三宮駅構内浜側の、化粧タイル剥げ落ちコンクリートむき出しの柱に、背中まるめてもたれかかり、床に尻をつき、両脚まっすぐ投げ出して、さんざ陽に灼かれ、一月近く体を洗わぬのに、清太の痩せこけた頬の色は、ただ青白く沈んでいて、夜になれば昂ぶる心のおごりか、山賊の如くかがり火焚き声高にののしる男のシルエットをながめ、朝には何事もなかったように学校へ向かうカーキ色に白い風呂敷包みは神戸一中ランドセル背負ったは市立中学、県一親和松蔭山手ともんぺ姿ながら上はセーラー服のその襟の形を見分け、そしてひっきりなしにかたわら通り過ぎる脚の群れの、気づかねばよしふと異臭に眼をおとした者は、あわててとび跳ね清太をさける、清太には眼と鼻の便所へ這いずる力も、すでになかった。》

 

 

 多くの読者は、何度読んでもわからないのではないか? 入試問題に使えば、受験生が混乱の渦に巻き込まれること必至の文章だ。

 

 まず、「省線三宮駅構内浜側の、化粧タイル剥げ落ちコンクリートむき出しの柱に、背中まるめてもたれかかり、床に尻をつき、両脚まっすぐ投げ出して、さんざ陽に灼かれ、一月近く体を洗わぬのに、」までは、まあ理解できる。

 

 次に「清太の痩せこけた頬の色は」ときて、ようやくそこまでの描写が清太のものであったことが判明する。

 

 ただ、そこからがまたわかりにくい。

 

「清太の痩せこけた頬の色は、ただ青白く沈んでいて」とあるから、清太の顔について話していることはわかる。ここの接続のしかたがいけない。「ただ青白く沈んでいて、」はテ形の接続だ。テ形の接続は「並列」である。

 

 ところがどっこい、そこから先、「夜になれば」から「その襟の形を」まではもはや清太の描写ではない。すぐ後ろの「見分け」の非常に長い目的語なのだ。126文字もある。「見分け」の意味上の主語は何だよ、清太の目か?

 

 で、「見分け」も連用形接続なくせに、主語が変わっている。変わっているのに、修飾語がまたやたらと長いので、何が主語かわかるまで非常に時間がかかる。ようやく出てきたころにはパニックである。
 

 さらに、最後になって「清太には」と、また主語が戻ってくる。戦後なのに『源氏物語』より難しい。

 

 ただ修辞的には描写が動いて感じられる。映画で言えば長まわしのようであり、カットが割られることなく次々に対象を変え、叙述されているように思われる。

 

 まず「清太」という語が登場する前に、駅が導入され、その「化粧タイル剥げ落ちコンクリートむき出しの柱」が叙述されると、そこにもたれかかる体の部分が叙述される。そこではじめて清太と青白い頬に焦点が当たると、「夜になれば昂ぶる心のおごりか、山賊の如くかがり火焚き声高にののしる男」へと焦点が移る。

 

 この「夜になれば」からは男の行為にカメラが移ったように感じられる。

 

 同様に、「朝には何事もなかったように学校へ向かうカーキ色に白い風呂敷包みは神戸一中ランドセル背負ったは市立中学、県一親和松蔭山手ともんぺ姿ながら上はセーラー服のその襟の形」も単に目的語というよりも、この場面においてカメラの前を通過する存在物を映し出しているようになっている。

 

 そしてその人たちが清太をさけるところまで、一連の流れとして語られていることがわかる。

 

 と、解説してみたので、もう一度読んでみてほしい。いかがなものでしょう?

 

 

 以上、橋本陽介氏の新刊『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)をもとに再構成しました。日本語文法の話を入口に、知的なエンターテインメントの世界へとご案内します。

 

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